週刊文春は『関電を大阪特捜が逮捕できない「上級人脈」』、週刊新潮は『「国会議員」に献金!「警察」にも餞別! 「高浜のドン」黒革の手帖に「原発マネー」リスト』と銘打って、高浜町元助役の故・森山栄治氏による関西電力幹部への金品贈与事件を報じている。しかし両記事とも、内容はまったく物足りない。森山氏の強引な人格にのみ焦点が当てられ、関電による“地元対策”の内実や、その中での森山氏の位置づけなど、「そもそも」の構造的な視点がないからだ。
これではただ、氏と関電の癒着、そしてキックバックの話にしか映らず、事件の本質は見えてこない。本来は、高浜に原発を建設する用地選定の時代にまで遡り、半世紀以上の“地元対策史”を俯瞰して、氏の立ち位置を見る必要がある。新潮は《彼は69年に高浜町役場に入りました。高浜原発1号機の建設が決まってまもない時期で、賛成派と反対派の衝突を抑える力があったために、当時の町長に請われて京都の綾部市役所から移ってきたのです。トントン拍子に出世し、77年に助役となりました》という“関係者の談話”一本でこれを済ませている。
事件発覚から間もないせいもあるが、この談話の「賛成派と反対派の衝突を抑える」のくだりが指し示す具体的内容を掘り下げて取材して、長文の記事を読ませてもらいたい。文春に至っては、80年代からの話しか出てこない。60年代以後、各地の原発建設やその維持のため注ぎ込まれてきた“原発マネー”に関しては、70年代から断片的に報じられてきた。福島の事故後には、東電にも影響力を持つ“大物フィクサー”の名が取り沙汰され、周辺から内実を告白する証言者も現れたが、メディアは詰め切れず、立ち消えになった。
文春の記事タイトルにもあるように、この国の検察や裁判所に、もはや“巨悪”を撃つ姿勢はない。せめて報道機関の一部にでも、高浜の件を端緒に大テーマ“原発マネー”に再挑戦してほしいのだが、そんな気概はもう、メディアにもないのだろうか。刑事責任を追及する調査報道でなくてもいい(時効の壁は大きい)。数十年スパンの現代史をフォローする企画記事でも構わないのだが、最近の各種報道では、そうしたスケールの時間軸がとんと見られなくなった。読み応えのある記事が減ったのは、そのせいもあるだろう。
また、今回の関西電力の件では、文春・新潮とも先週号の初報で、森山氏に部落解放同盟の活動歴があることに触れ、そのことを氏の政治力に結びつけていた。その後、解放同盟が公式に批判声明を発表、これを受け今週の文春では言及がなくなったが、新潮は再び解放同盟にいた氏の経歴に触れ、高浜町役場に転職したこととの《因果関係は不明》としながらも、《(解放同盟で身につけた)威圧的な振る舞いやその背景こそが、森山さんの、ひいては、関電の問題の本質です》と“関係者”に語らせている。
とても取材を尽くしたうえでの記述には見えないが、今回の件をどうしても同和問題と結びつけたいのなら、それこそ原発の候補地選定と被差別部落の関係など、以前からさまざまに噂されながら確認できずにきた電力会社側の「地元対策」について、これを機にその内実をえぐり出してほしい。その“本質”に目を瞑ったまましつこく同和に言及することは、ただの“ヘイト趣味”“偏見の流布”としか映らない。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。