ここまで老人医療費無料化によって上がった受療率の一方で、無料化が行われていた期間に急速に診療内容が高度化した実態をみてきたわけだが、それは無料化によって治療を促すという考え方がある一方、「診断」の高度化が背景にあることも見なければならない。 


「診断」によって、人々は、特に高齢者は自分が何らかの「疾病」を持っていることを疑うようになった。高齢化すれば心身の状態は若いときの状態を維持しているわけではない。よく考えれば当たり前の話であり、それは人間も動物のひとつであり、老化を避けることはできない。むろん、無料化の前から心身の衰え、つまり老化を自覚することはあっただろうが、それを「有病」と自覚するシステムが無料化によってもたらされたと言える。 


 医療大量消費の時代は、この「診断」の高度化が治療の機会を増加させ、もう昔には戻れなくなった医療市場の確立に向かわせたことから生まれたのである。市場は縮小均衡を嫌う。診断の向上と治療への簡単なアクセスは、医療市場が拡大均衡を常に志向する市場として確立させた。 


 つまり、医療市場は、例えば医療費の増嵩、社会保障費の拡大が国を滅ぼすという今に続く危機感がいかに叫ばれても、83年に厚生官僚のトップが医療費亡国論を唱えたときには、すでに大量消費市場として「出来上がった」と見るべきである。 


●無料化の間に進んだ濃厚医療 


 老人医療費無料化が実施された73年から10年を経て、老人保健制度によって83年から無料化はなくなった。この稿では、受療率をベースにこの制度がもたらした医療市場の拡大の背景をみてきた。老人医療費は、制度改正によってそれまでの10%台の伸び率が急速に鈍化し、老人の受療意欲に一定のブレーキをかけたことがデータには示されている。読者には念の入った説明で恐縮だが、老人医療費は新制度によって鈍化しただけであり、減ったのではない。老人の「有病」自覚はすでに確立したのであり、医療へのアクセスをためらうほどの制度改正の効果があったとは言えない。


 この間に進んでいたのは、無料化によって増えた老人を軸にした受療の一方で、診療の内容自体の濃厚化である。患者が増える一方で、診断精度の向上による患者の増加に加え、診療内容自体が急カーブを描いて上昇した。医療市場は、患者というマスの拡大の一方で、単価の上昇という構図までこの間に作った。 


 診断精度の向上は検査の質の向上と同じベクトルを描いている。80年代には「薬漬け」がマスメディアによって目の敵にされたが、その後半からは「検査漬け」も同じ語られ方をするようになった。検査に関しては項目も多く、その手法も多岐にわたり、また分析も手動から自動化の流れがあって、うまいデータが拾いにくい。ここでは象徴的な例として診断機器の花形であるCTをみてみる。 


 まだ無料化時代、つまり医療市場の巨大化確立移行期にあった78年にはCTの病院における保有台数は439台だったが、その3年後の81年には1574台と3倍に伸び、84年には2689台にまで伸びている。すでに世界でもトップのCTの保有台数だったと推定されているが、このCTを普及させたのは診療報酬である。 


 医療費亡国論が語られる中で、CTの市場拡大に診療報酬が寄与したことは、今から考えると、市場側の何らかの攻勢があったとしか考えられない。80年代、医療機関はこぞってCTを導入し、患者の疾病をさらに見つけることに成功し、また治療部位の特定に成功した。そう考えると、CTは医療の効率化に資したように思えるが、そこにあって使うことによる報酬というリターンが効率化よりも市場関係者には魅力的に映っていたと考えるのは、邪推か。 


 実際、この頃のCTの世界に先駆けた浸透は、当時の関係者には国内医療の質の引き上げに成功し、平均余命の伸長に寄与したと考える人も少なくない。だが、そのエビデンスをあまり語られることがないという印象も筆者にはある。 


 また検査が手動から自動化の流れの中にあったということを先述したが、この頃の生化学自動分析装置の増加も著しい。導入台数は(病院のみ)、78年643台、81年1977台、84年2689台であり、CTとほぼ同様の伸び方を示している。つまり、診断分野ではこの時期に診療報酬という成長ツールの支援を得て、急速に市場が拡大したのであり、それはもう戻れない、もはや縮小させることのできない市場経済分野を育成した。 


 むろん治療分野でも、医療機器市場は急速な拡大基調を示している。マイクロサージャーリー装置は78年443台→81年726台→84年1878台。リニアックは同じく149台→213台→302台に、人工腎臓透析装置は1万4312台→2万1479台→2万6882台。6年間でほぼ倍増している。当時、安易な人工透析が行われているとの批判もあって、人工透析適用患者には厳しい縛りがつくこともあったし、その後透析に関する診療報酬が減額されたなどの経緯もあるが、それでも90年代以降も透析患者はほぼ1万人のペースで増え続けていき、透析市場は巨大化した。ただ、最近の終末期医療重視の状況もあるのか、透析患者の増加はここ数年ストップしている。 


●実は制度が作った大量消費市場 


 診断精度の向上と検査の迅速化によって、有病の患者は「無料」というモチベーションに支えられた老人の旺盛な受療をさらにヒートアップさせた。まず受療率を引き上げ、患者の増加を得たうえで、医療内容を診断から治療まで高度化、濃厚化することによって、医療市場はその構築を成し遂げることになる。消費者を発掘し、その消費行動を確立させてから、供給する商品の多様化、高品質化を推進して消費者を市場にとどめる。そして、そのツール、支援装置が老人医療費無料化であり、診療報酬である。 


 先にあげた診断装置、治療機器の急速な普及時代の一部(80~84年)、保険医療費は入院医療費が38%、入院外が17%増加している。入院日数はこの間20%増加しているが、入院外は1日減っている。つまり入院外に関しては、患者の外来数自体は減っているのに対して、1日当たり医療費は増加していることになる。入院も日数の増加分を機械的に引けば、1日医療費の増加傾向は入院外と同じカーズを描いていることになる。まさしく、医療技術の進歩を反映していると言えば言えるのだが、それを推進したのが、制度であるところが日本の医療市場の特徴である。 


 この頃、アメリカでも医療技術の進歩は日本に先んじて進んでいた。自由診療であり、民間保険大国の米国では、この進歩に応じた医療市場の拡大が起こったが、保険料を払えない無保険者層を増加させる社会不安を伴っている。日本では、先進的な技術を公的医療保険で診療報酬として取り込み、医療費の増嵩という市場の安定的かつ拡大均衡的な構造づくりを進行させた。国民にとってはいい選択なのかどうかは、あえて筆者は不透明だと言っておきたい。次世代にこの構造がもたらす歪みの部分を受け継がせる可能性がないとは言い切れないからだ。 


 医療の大量消費構造、拡大均衡市場の存続は、その技術の進歩と高齢化の心身の客観的な評価をやり直して、もう一度原点に立ち返る必要がありはしないか。結論めいたことを口走ったが、次回は80年代の医薬品政策についてながめる。(幸)