今週は週刊新潮の『元SPEED「今井絵理子参議院議員」の略奪不倫』のほか、とくに大きな週刊誌スクープは見当たらない。ただ26日、NHKが森友問題で『近畿財務局と森友学園 売却価格めぐる協議内容判明』と題し、昨春、近畿財務局が森友学園弁護士との面談中、「いくらまでなら払えるのか」と支払い可能な上限を質問して、弁護士側が「1億6000万円」と回答したやり取りを突き止め報道した。


 醜悪なほど“忖度”に徹する政治部とは異なり、同じNHKでも社会部は懸命に調査報道を続けている。大阪地検特捜部もこの経緯には関心を示しているといい、ならば是非“疑惑の本丸”へと迫ってほしいと願う。 


 このところすっかり旗色の悪いネトウヨ文化人は、“もりかけ問題”を騒ぐマスコミこそ諸悪の根源、と論点逸らしに必死だ。しかし、わずか半年や1年前の出来事を次々と忘れ去り、関係書類もすべて処分した、と言い募る政権の姿に、批判的でないメディアのほうが、どうかしている。NHKの今回のスクープも、財務省答弁のウソを暴いている。


 政権は潔白、悪いのはメディア、という論調には、新潮も文春も同調する気配はない。たとえば新潮は『閉会中審査の大噓つきたち! まつエクしてる場合か「稲田朋美」』そして『「内閣人事局」がぶっ壊した「霞が関の秩序」』という特集を掲載し、文春も『産経まで見放した“えこひいきの女王”稲田朋美防衛相の本性』『防衛官僚覆面座談会「稲田大臣は過去25年間で最低」』といった具合だ。 


 産経や右翼的月刊誌と、新潮・文春の論調に、明確な境界線が引かれるのは喜ばしい。都議選の結果にも明らかなように、世の中にはネトウヨとサヨクの“二極”以外もいるからだ。真っ当な保守やリベラル、革新の人もいる。ここ何年かの政治の異常さは、産経や日本会議と同じイデオロギー過剰な狂信的グループが権力を掌握し、もの言えぬ空気=忖度を作り出してきたことだ。 


 先週に発売された号だが、週刊金曜日の『松本人志と共謀罪』の特集が、「インパクト大」だった。いつの間にか“芸能界のご意見番”となり、共謀罪を擁護して「多少の冤罪はしょうがない」と公言してみたり、豊田真由子議員の暴言問題で録音・告発した秘書に批判の矛先を向けたりと、“何となく安倍支持”の発言を繰り返す彼への箴言だ。 


 特集の論者には、無名時代のダウンタウンと深く関わったプロデューサーや吉本興業の元幹部など、才能溢れる松本への愛情を隠さぬ人もいて、だからこそ“松ちゃん、どうしちゃったの?”という言葉は、胸に迫り、やるせない。


 結局のところ、昨今の右傾化は、もはや主張の正しさの問題でなく、左翼やリベラルが嫌いだから、反対側を支持する、という生理的二者択一にしか見えない。それはどこか、運動部での体罰や下級生イジメへの態度にも重なる。体罰肯定派は「あれはあれでよかった」と若き日の体験を美化・普遍化し、批判する人を「青臭い正義派」と毛嫌いする。 


 だが、結果的に体罰によって死亡事故や自殺者が出たときに、彼らは凍り付き、押し黙ってしまう。やはり、理不尽な暴力はまずいのだ。国家主義や戦争も同じだ。72年前、自国民だけで300万人を死に至らしめる戦争があった。愚かしいことだった。反共であれ保守であれ、万人が身に染みてそう感じていた“戦後”が遠ざかり、今日の世相ができあがったように思える。 


 皮膚感覚だけでものを言うのでなく、最悪のケースについてきちんと過去に学ぶ。その最低限の知性は維持してほしい。為政者にそれを望むのか否かで、安倍政権の姿はまるで違ったものに見えるのだろう。 


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。