安倍政権が低姿勢で内閣改造を果たし、今後は「結果」によって信頼回復を果たしてゆくという。個人的には、再登板組の中堅クラスには好感の持てる人もいて、印象はやや“改善”された気がするが、問題はやはり当の首相である。 


 今週の各誌は、未だ表立って何ら釈明をしていない加計学園の理事長・加計孝太郎氏の問題や、ようやく辞任した稲田朋美氏の問題、絶好の機会に支持率を挙げられず党首辞任に追い込まれた民主党の迷走などに記事が集中した。 


 とくに文春は、『重大証言「09年衆院の応援に職員を派遣」安倍首相を選挙応援 加計学園「公選法違反」疑惑』というスクープを放ち、この問題が加計グループ内部の組合問題になっていたことを暴露した。民進党関連では『遠心力の女王 蓮舫の心を折った男たち』、そして芸能スクープとして『斉藤由貴 背教のダブル不倫』を掲載した。 


 新潮も『咆哮と遠吠えが交錯する「永田町」人間動物園』という特集で、与野党の一連のドタバタぶりを報じたほか、前号のスクープの続報として『「今井絵理子」と「不倫市議」は人として「一線を越えた!」』で、両氏の釈明のまやかしを一蹴した。 


 週刊現代は、加計氏の追及のほか『「防衛大臣クビ」本当の理由はこれだった よくぞそこまで!自衛隊員たちが稲田朋美を「猛爆撃」』を特集、週刊ポストの政局記事は『「余命30日の改造内閣」断末魔』というものだ。 


 今週はまた、文春と新潮のコラムで“新聞記者論”が目についた。文春の匿名コラム「新聞不信」は『芸人にコールド負けの朝日』と銘打って、夏の高校野球の主催者たる朝日新聞の高校野球記事に「熱がない」ことを嘆いている。バラエティー番組で「高校野球大好き芸人」たちが語るエピソードのほうが、よほど面白いと言い、味も素っ気もない最近の紙面を「高野連官報」とまで皮肉っている。


 たかが高校野球であり、新聞社の“販促イベント”と言ってしまえばそれまでだが、入社2年目の若手記者が中心の担当者らにとっては、初めての“ヒューマンドキュメント”に挑戦する修練の場でもある。 


《紙面からギラギラした人臭さが失われ、解説とも論文とも付かぬ数字を羅列した記事が多く散見されるのは、他の面にも他の新聞にも共通することではあるまいか(略)何とも低温の高校野球記事は、何かの崩壊の兆しなのではあるまいか》。コラム子のそんな懸念もわかる気がする。 


 週刊新潮のほうは「ヤン・デンマン」なる外国人特派員を名乗る覆面筆者のコラム「東京情報」。ネチネチと新潮らしいカラミ方をするこの欄は、なかなか肌に合わないのだが、今週のタイトルは『変わるブンヤ稼業』。例によって朝日批判かと思いきや、読売の前川・前文科次官への人格攻撃記事を引き合いに、「羽織ゴロ」と呼ばれたかつての“ブンヤ”たちの人臭さを懐かしみ、《報道がおかしくなってきた。お高く止まるな。上品になるな。いま必要なのはかつてのブンヤ精神や》とまとめている。 


 ただ、同誌の櫻井よしこ氏のコラムは相変わらずである。委縮状態からようやく息を吹き返した政権批判報道を「メディア史に汚点として残る偏向報道」として、激しく批判する。その昔、昭和の感覚では、「社会主義者、革新ではない人」はみな保守層とされた。だが、今は国家主義的なイデオロギーに凝り固まった人たちが保守を名乗る。彼女はその旗頭だ。 


 正直、その主張は思い込みの産物にしか見えない。「押しつけ憲法が日本人をダメにした」というのは、本当か?


 戦前の日本はそんなによかったのか?


 床屋政談レベルの“仮説”を検証なく、こうした“愛国者”は盲信する。その“信仰”の不気味さはこの春、森友学園の幼稚園の映像で、多くの国民が目の当たりにした。それだけでも、今回の報道の活性化には大きな意味があったように私には思える。 


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。