数年前に認知症治療の記事を書いたとき、武田薬品の糖尿病治療薬「アクトス」で、認知症の発症を遅延させる効果を調べる治験が始まったことが話題になっていた。
アクトスといえば、往時は世界で4000億円もの売上高を計上した薬である。しかし、膀胱がんのリスクが取りざたされた上、特許も切れていた。新たな糖尿病治療薬も続々登場して、すでに“終わった薬”と見られていたが、認知症の薬として久々に注目されたのだ。
当時は、糖尿病とアルツハイマー病について関係性をよく理解していなかったが、このたび、その点について詳しく記した『アルツハイマー病は「脳の糖尿病」』が刊行された。
アルツハイマー病と糖尿病といえば、がんと並んで大手製薬会社が新薬の開発にしのぎを削る分野。もっとも、アルツハイマー病の新薬は各社が相次いで開発に失敗。画期的な新薬として1996年に米国で承認されたエーザイの「アリセプト」以降、大きな進歩はない状況だ。
そんな中、〈有効な対策が見いだせないアルツハイマー病を、糖尿病の薬で治そうとする流れが起こり始めている〉という。
本書では第1章~第3章にかけて、脳の情報伝達やアルツハイマー病について解説。アミロイドβタンパクが蓄積して、アルツハイマー病を発症するとする「アミロイド・カスケード仮説」については、〈現在では仮説ではなく、真実と考えられて〉いるという。脳やアルツハイマー病について一通り知っているという人でも、〈脳の基本構造〉〈ホルモンと神経伝達物質の違い〉など、あらためて基本から学ぶことができる。
■記憶にも関与する「インスリン」
第4章で糖尿病について解説した後、第5章で本題でもあるアルツハイマー病と糖尿病の関係が明かされる。著者は〈鍵を握っているのは、脳の中のインスリン〉だという。
インスリンはホルモンの一種。血糖値の調整に深くかかわっているが、インスリンの作用に障害が起こると血糖値が上昇する。これが糖尿病だ。実はインスリンは、〈脳に働いて記憶物質としても重要な役割〉を果たしており、〈脳内のインスリン情報伝達が支障をきたすと、アルツハイマー病になる〉という。
著者いわく〈二つの病気の根本的原因が同じ〉。つまり、糖尿病の予防と治療がアルツハイマー病の対策につながるのだ。
運動療法や食事療法が大切なのは言うまでもない。喫煙もNGだ。
日本では比較的、お酒に寛容なところがあるのだが、本書は〈喫煙と同様に危険な飲酒の健康被害についても根本的に考え直さなければならない状況になっています〉と厳しい。適度な飲酒を進める医師は多いが、〈アルツハイマー病の予防・治療には妨げになる〉のだとか。ちなみに、〈酒をまったく飲まないモルモン教の社会ではがん、循環器系疾患による死亡率は平均的な死亡率の半分、またはそれ以下〉だという。
気になるのは、糖尿病治療薬がアルツハイマー病の治療に使えるか、という点であるが、著者は〈糖尿病の薬をアルツハイマー病の治療薬として使うことが最良と考えられます〉というスタンス。日本では入手できない「経鼻インスリン吸入薬」(鼻から吸入するインスリン)を〈最善の治療薬〉と位置付ける。
入手できる治療薬という意味では、「GLP-1受容体作動薬」と呼ばれるタイプの糖尿病治療薬をアルツハイマー病に〈最有力〉と見る。今後は、治験を通じて、糖尿病治療薬がアルツハイマー病に効くことを証明していくべきだろう。
本書に従えば、アルツハイマー病にならないためには、糖尿病にならない生活習慣に従うことになる。酒もたばこもやらず、適度な運動と健全な食生活――。理想的な生活習慣なのだろうが、少し息がつまりそうでもある。(鎌)
<書籍データ>
鬼頭昭三 、新郷明子著(講談社920円+税)