突然の解散風で、10月22日の総選挙が事実上決まった。不勉強でこれまで知らずにいたのだが、“首相の大権”などと言われる衆議院の解散権は、内閣不信任への対抗手段として憲法69条で認められる以外、それを許容する条文はなく、天皇の国事行為を定めた7条を無理やり根拠規定として、戦後、繰り返されてきたものだという。 


 その違憲性が問われた苫米地訴訟では、最高裁が例によって「統治行為論」として判断を避け、今日に至っている。結局のところ、三権分立などと言ってもこの国の司法は行政の下請けでしかなく、時の政権による憲法の曲解・拡大解釈はやり放題。アジア的後進性にどっぷり浸かった国でしかないのだ。


 週刊誌各誌の論調もみな、“もりかけ隠し”の解散でしかないことを批判しているが、野党第一党の民進党はすでにボロボロ。小池新党も都議選のブームからわずかふた月で、頭数だけの“私兵集団”であることがバレてしまっている。これほど問題だらけの政権なのに、対抗勢力が見当たらないのだ。小選挙区制度の弊害もいよいよ極まった観がある。 


 週刊文春は、飲食店経営者として野田聖子・総務相と出会い、結婚した夫が、前科2犯の元暴力団員だったことを暴いている。女性初の首相になれば、ファースト・レディーならぬファースト・ジェントルマンになる人物であり、タイトルは『“ファースト・ジェントルマン”候補の素顔 野田聖子総務大臣 夫は元暴力団員』とストレートだ。 


 この報道によって、後任の首相として彼女の芽はなくなってしまうのか。当人に違法行為があったわけでなく、不倫のような醜聞とも異なるが、確かに“ファースト・ジェントルマン”と言われると、そういう男性に登場されるのも困る。ただ、配偶者のことで言えば、現在のファースト・レディーにも相当問題はある。果たして文春のこの報道、どれほどの波紋を広げるのか。 


 週刊新潮は、『「井川意高・元大王製紙会長」vs.「ホリエモン」の獄窓対談』という企画記事を掲載した。背任罪や証取法違反で“塀の中”の生活を送った両人のよもやま体験談である。だが、何と言うか一読して感じたのは、2人ともお気楽なものだ、という苦々しい印象だ。出所後の生活に何ら心配のない境遇の彼らには、4年間、あるいは2年半という刑務所での日々も、ちょっと変わった“秘境ツアー体験”のようなもので、回顧談もどこか楽しげである。この世はどこまでも格差社会であることを改めて痛感する。 


 サンデー毎日では保阪正康氏の長期連載で『幻の自主「戦犯裁判」構想』の話が始まり、これが興味深い。東京裁判が始まる前の1945年後半、東久邇宮内閣や幣原内閣で日本人自身の手によって「戦犯」を裁こうという検討が重ねられていた、という歴史秘話だ。


 詳細は次号に続くようだが、この自主裁判、どうせお手盛りの裁きで追及を逃れるポーズだったようにも思えるが、万が一、日本人が自らあの戦争を真剣に総括していれば、今日に至るイデオロギー対立もずいぶん違った形になっていた気がする。東京裁判を否定するなら否定するでいい。ただ、他国への加害責任とはまた別に、日本人同胞300万人を死に至らしめた責任に、政界や軍部の指導者が知らん顔だったことには、痛憤を禁じ得ない。 


 この国の指導者階級の人たちは、仲間ウチに本当にやさしい。どんな不始末もうやむやにして、保身を助け合う。下々に対する冷淡さとはまるで違うこの態度こそ、昔も今も変わらない、「美しいこの国」の特徴になっている。 


………………………………………………………………

三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。