国際線内でたまたま“Hidden Figures”を見た。2016年12月に公開され、米国では『ラ・ラ・ランド』を上回る興行収入を得ているという映画だ。主人公は米ロが宇宙開発競争にしのぎを削っていた時代に、米国航空宇宙局(NASA)の有人宇宙飛行計画を支えた3人の黒人(アフリカ系米国人)女性で、いずれも実在の人物である。原題には、彼女たちが「はっきりとは姿がわからない人影」(一般国民には功績を知られていない存在)であったことと、「隠された数字」の2つの意味がある。日本では『ドリーム』という当たり障りのない邦題で、来る9月29日から公開される。主人公たちがあくまで前向きで、元気がもらえる作品だ。 


◆“computer”は機械でなく人間だった


 主人公であるキャサリン・ジョンソンの仕事は“computer”。この英語は17世紀には存在していたようだ。映画で描かれた時代には、「コンピュータ=電子計算機」の登場前に研究機関や企業などで数学的な計算を担当していた人たち(計算手)がそう呼ばれていた。もともとは若手の男性研究者の仕事だったが、戦時中は徴兵による人手不足で女性も採用されるようになり、さらに黒人にも門戸が広げられたという。 


 とはいえ、人種差別が明確に存在していた時代で、仕事場も図書館もバスも白人との共用は許されない。映画に登場する黒人計算手女性たちが働く部屋には地下の“colored computer room"、トイレには“colored ladies room"の表示が掲げられている。宇宙船の飛行研究部門に抜擢されたキャサリンは、白人男性のみのオフィスから別棟のトイレまで書類を抱え、ハイヒールで全力疾走する毎日だ。


 計算手の基本的な仕事は文字通り計算や検算、いわば人間電卓で、研究ではない。しかし、数学や物理学の知識と能力が抜群のキャサリンは、蔑視されながらも同僚たちが解けなかった宇宙船の軌道や着地点まで計算するに至り、徐々に周囲の理解を得ていく。天井までの高さがある巨大な黒板にはしごをかけ、チョークで次々と計算していく姿は圧巻で、何でもPC内で済ませる現在からみると新鮮だ。


 実在のキャサリンは1918年生まれで、天才的な数学センスを持ち、飛び級して1937年に大学を卒業。教師の仕事を経て、1953年にNASAの全身である全米航空諮問委員会(NASA)のラングレー研究所で計算手として働き始めた。1961年、アラン・シェパードが米国人として初めて15分間の弾道飛行に成功した際には軌道を計算。1962年のジョン・グレンによる地球周回飛行では「彼女が計算してくれれば安心して飛び立てる」というジョン自身の指名により、導入されて間もない電子計算機の計算を検算した。通算33年間の勤務後、1986年に引退し、2015年にはオバマ前大統領から民間人として最高の栄誉である自由勲章を授与されている。99歳の現在も健在で、今年9月21日には同研究所内にオープンした最新施設は“Katherine G. Johnson Computational Research Facility”と名付けられた。 


◆医学や社会にもさまざまな恩恵 


 今年開所100周年を迎えたラングレー研究所は、宇宙開発を通して医学や社会にも貢献してきたことをアピールしている。 


 例えば、超音速機用の超軽量素材として開発された thermoplasticは心臓ペースメーカーのワイヤーに、翼上の気流測定用センサーは妊婦が腹部に装着することで自宅にいながらにして胎児の心音を遠隔モニターする機械に使われている。もともと飛行機が濡れた滑走路で操縦を失う現象を指したhydroplaningの防止策として、路面の溝切り(grooving)を考案したのも同研究所だという。 


 こうした革新は、歴史の教科書には載らない人々の力で成し遂げられてきた。その原動力であった多様性を目先の利益優先で否定する流れは、米国にとって得策とは思えない。(玲)


Katherine Johnson at work, 1972 Image Credit: NASA Langley Research Center