年始以来、「カケ」と「モリ」が永田町を振り回している。言うまでもなくソバの話ではない。加計学園の獣医学部新設問題と、森友学園を巡る不透明な国有財産売却問題である。いずれも安倍晋三首相の交友関係に端を発した問題であり、行政の判断がゆがめられた可能性が指摘されている。 


 しかし、国有財産の処分を巡る手続きの不備が問題となっている森友学園の問題と、政策決定のプロセスや内容が焦点となっている加計問題は本質的に異なる。  ここでは「カケ」問題に焦点を当てつつ、政治主導の政策決定システムという切口で論点の抽出を試みよう。


◇政治主導を追い求めた四半世紀


 ここで事実関係を整理すると、加計問題とは特区制度を活用した獣医新設計画である。地域限定で規制を緩和する構造改革特区の枠組みを使い、地元の愛媛県今治市は10年近く前から開設を申請していたが、これを政府は却下し続けた。 


 その後、「岩盤規制にドリルで穴を開ける」という方針の下、2012年12月に発足した安倍政権が国家戦略特区を創設する方針を決定し、獣医学部新設の是非が国家戦略特区で焦点となる。 


 しかし、文部科学省や農林水産省は「獣医は既に充足している」と反対。これに対し、有識者で構成する国家戦略特区ワーキンググループや国家戦略特区諮問会議は「業界団体の政治力が規制改革を阻んでいる」「獣医学部新設に必要な告示改正を行うべきだ」と主張し、意見が対立した。 


 結局、2017年1月に今治市への獣医学部新設が決まったが、検討過程で文部科学省が「総理のご意向」と記した文書を作成していることが発覚。政府は一度、「怪文書」(菅義偉官房長官)と否定したが、前川喜平前文部科学事務次官が役所の検討プロセスで資料を見たと言明し、政府として資料の公表に追い込まれた。さらに、前川氏は一連のプロセスが判断で歪められたと批判し、こうした不透明な政策決定プロセスが内閣支持率低下の一因となった。


 ここに至るプロセスを見ただけでも複雑であり、首相と加計学園関係者の付き合い、「総理のご意向」の有無、前川氏の行動や言動、新聞報道の在り方など様々な論点が取り沙汰されているが、以下は政治主導の政策決定に話しを絞って議論を進める。 


 ここで時間を20年前に戻してみる。1997年12月、橋本龍太郎首相をトップとする行政改革会議が最終報告を公表した。ここでは「国家目標が複雑化し、時々刻々変化する内外環境に即応して賢明な価値選択・政策展開を行っていく上で、その限界ないし機能障害を露呈しつつある。いまや、国政全体を見渡した総合的、戦略的な政策判断と機動的な意思決定をなし得る行政システムが求められている」とし、内閣府や経済財政諮問会議の設置などを通じて内閣機能の強化を図る必要性を強調していた。 


 つまり、縦割り行政に基づく割拠主義的な官僚機構を改革し、首相官邸を頂点とする政治主導の政策決定システムへの転換を掲げていたのである。 


 この後、中央省庁再編が2001年1月に実施され、直後に就任した小泉純一郎首相が経済財政諮問会議の場を活用し、様々な改革を進めたのは良く知られている事実である。そして安倍政権が創設した国家戦略特区についても、「岩盤規制」の突破に向けた首相のリーダーシップに期待している点で同じ文脈に位置付けられる。 


 しかも、政治主導の政策決定システムを目指す動きは自民党に限った話ではなかった。この考え方は元々、自民党を割った小沢一郎氏が1993年に発刊した『日本改造計画』に記載されており、民主党(現民進党)が政権を取った2009年のマニフェスト(政権公約)でも、官僚主導を排すための制度として「国家戦略局」の設置に言及していた。 


 こうした背景には、湾岸戦争の国際貢献を巡る不手際、大手銀行の破綻など官僚機構の失政に対する反省があり、「失われた20年」と言われる景気低迷期を含めた四半世紀の間、政治主導の政策決定システムは与野党を問わず議論されてきたテーマだったことになる。 


◇必要なのは情報開示 


 では、この歴史的な経緯を踏まえて加計問題を考えると、どんな論点が出てくるだろうか。 


 大前提として、首相官邸と文部科学省のどちらの判断が最終的に優先されるべきか。民主主義下における民主的正統性は首相にあることは論を待たず、「行政が歪められた」という物言いは文部科学省の論理に過ぎない。制度の前提として、首相の強いリーダーシップを制度的に見込んでいる以上、「総理のご意向」が働くのも当然である。


 こう書くと、「首相や政治家の判断が必ず正しいとは限らないではないか」という突っ込みを受けるかもしれない。確かに政治的な支持獲得を目当てにして、政治家が「正しくない」政策を決定するケースは多々みられる。加計問題に関しても、首相と学校関係者の親密な関係が指摘されており、「総理のご意向」の有無、あるいは直接の指示がなくても首相の意向を官僚達が忖度した可能性も指摘されている。


 しかし、政治家の意思決定について、それが正しいか、あるいは正しくないという判断は誰がどのように下すのだろうか。加計問題の場合、文部科学省の言う通りに獣医の充足状態が将来も続くのか、あるいは規制撤廃論者が指摘している通りに将来的に不足するのだろうか。 


 有体に言えば、それは誰も分からない。公的保険制度で統制されている医師の需給予想さえ外れるのに、ペットの需要まで見込まなければならない獣医の需給に関する将来予想が的中するとは到底思えない。言い換えると、獣医の充足を主唱する文部科学省が正しいのか、規制撤廃を求める首相官邸サイドが正しいのか、現時点では誰も予想できない。  もちろん、現時点の需給見通しや政策の利害得失などを予見できる範囲で議論する必要はあるが、その是非は最終的に15年後か、20年後に判断されることであり、現時点で「正しい」「正しくない」を論じることに価値を見出せない。 


 むしろ、重要なのは後世の人が検証できるような政策決定プロセスの明確化であり、情報開示である。その点で「怪文書」扱いされたメモが公表された意味は大きいし、メディアで報じられている範囲でも、▼加計学園が事業主体であることを首相がいつ知ったのか▼「総理のご意向」があったのかどうか▼「総理のご意向」があったとすれば、どんな内容だったのか、いつ指示されたのか――などの点は今も疑問として残り、政策決定プロセスの透明化が必要である。 


 さらに、元々の問題として獣医新設問題が「岩盤規制」なのかも論じなければならない。政治主導の政策決定システムを導入した際に想定していたのは、財政再建や経済構造改革、地方分権など利害が対立しがちなテーマであり、獣医学部新設の有無を「国家戦略」の対象とするのは余りに小粒である。そもそも獣医の増加を阻んでいる規制は法令ではなく、所詮は役人の裁量で決められる大臣告示に過ぎず、この程度の規制に一喜一憂している現状は滑稽に映る。 


 解散総選挙で風雲急を告げてきた現在、加計問題はウヤムヤになりそうな気配だが、政治主導を発揮すべき重要なテーマが避けられ、その程度の規制しか取り上げられないところに、本当の日本政治の問題が潜んでいるのかもしれない。 


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丘山 源(おかやま げん)

大手メディアで政策形成プロセスを長く取材。現在は研究職として、政策立案と制度運用の現場をウオッチしている。