政府はようやく医薬品価格抑制の手段として費用対効果に関する検討組織を立ち上げる方針だと伝えられている。英国NHSがモデルとなると喧伝されているが、その帰趨、方向性、政策の展開については、医薬経済社の報道と薬価制度に詳しい他の論者に任せるとして、ここでは引き続き新薬シフトに関してみていく。ただ、その前に、余計なことだが高額新薬の登場とともに政策課題となってきた今回の薬価抑制論議は、どうも遅きに失したのではないかとの印象は伝えておきたい。


 チャンスはいくつかあったはずで、例えば日本型参照価格制度論議のとき、あるいは混合診療の是非を語る中で、薬価の持つ医療全体(医薬品市場だけでなく)の市場構造への影響を、もう少し冷静に論議すべきではなかったかとの思いがある。現状の医療保険制度下での医薬品が有する金融基盤としての機能に着目し、そこをなし崩すか、あるいは公的医療保険から(金融機能を)切り離すかの論議が行われてもよかった。チャンスがやっときた、やっと医薬品価格に関して、まっとうな論議ができるという感覚はズレている。 


●新薬が果たした市場での役割 


 さて、いわゆる新薬シフトに関して、前回はMe-too薬、Me-again薬などに関してみてきたわけだが、Me-too薬もMe-again薬も実際には、ほとんどが新有効成分として医薬品承認、薬価収載時には扱われている。化学構造式に足したり、引いたり、反転させるなどの「科学的手法」を、オールトライアルズ運動を展開しているベン・ゴールドエイカーは説明しているが、それらすべてが、「ゾロ新薬」として眺めていいかどうかは議論のあるところだろう。開発手法としては、否定されるべきではないというニュアンスをゴールドエイカーも語っているし、それによって先発新薬より優れた医薬品が開発される可能性はないとはいえない。そのため、とりあえずMe-too薬、Me-again薬については、新有効成分としてみる。


 ここでは、薬価の大幅改正が数次にわたって行われ、薬価算定方式に関しても論議が集中していた1980年(昭和55年)から、91年(平成3年)までの新薬承認の状況を数字でみたい。なお、この数字は筆者調べである。説明を加えると、81年には18.6%、84年には16.6%の大幅薬価改定が行われた。銘柄別収載方式はそれ以前に導入されている。また、薬価算定方式は91年に一定の論議収束が行われ、92年から加重平均方式プラス一定価格幅方式が導入されている。


 ここでは主として80年代の状況をテキストとしてみていくわけだが、この年代に医薬品が医療市場の中で、金融機能を持ち、それが様々な批判を生み、現在に続く医薬品の医療費膨張主犯説の有力な拠り所となった年代と筆者は規定しておく。表現を変えれば、医薬品は医療費増高の主役であるとの認識が社会に固められた時代ということかもしれない。  さすがに、この12年間の数字を文章の中で、追っていくのは不親切なので、下表にまとめた。


 表2は、新投与経路、新有効成分や効能追加、新用量、新剤型など、既存開発成分だが、それらの開発が認められて、再審査期間が設定されたものである。再審査期間は言うまでもなく先発期間であり、実質的には新薬扱いだ。ここでは、配合剤と再審査期間削除となったものは除いたことを留意してもらいたい。配合剤はおおむね、再審査期間は4年。また、表2の数字は承認品目ベースであり、さらに新有効成分と新剤型が同時に認められたケース、開発企業が複数で銘柄名が違うケースがあり、重複をふくむ。 


(表1)12年間の新有効成分承認数


80年
81年
82年
83年
84年
85年
国内開発
18
24
17
13
9
18
国外開発
15
37
20
20
18
35

33
61
37
33
27
53








86年
87年
88年
89年
90年
91年
国内開発
16
22
18
10
12
21
国外開発
17
23
28
19
23
15

33
45
46
29
35
36

      


表2)12年間の再審査期間設定医薬品数


80年
81年
82年
83年
84年
85年
新投与経路
4
8
2
4
8
5
効能追加等
2
4
3
6
1
3
新用量
0
0
1
1
1
3
新剤形
0
2
0
0
3
2

5
14
5
10
12
13








86年
87年
88年
89年
90年
91年
新投与経路
7
6
8
6
3
6
効能追加等
2
3
4
4
4
3
新用量
0
2
0
3
3
2
新剤形
0
1
2
3
3
4

8
11
14
14
11
15


 この表を見る限り、81年改定時には、新有効成分、投与経路変更などの再審査期間設定医薬品は、合わせるとかなりの突出した承認数であることがみてとれる。また84年改定年は国内オリジンの新薬数がかなり多い。さらに、84年以降はセフェム系抗生物質製剤の開発が競合的にみられる。これらの開発がMe-too薬かどうかの判定は、筆者にはわからないが、同種同効的な医薬品開発のラッシュがあったという状況をみることはできる。


 主に80年代のこの傾向をもって、新薬シフトというには資料が薄弱だという批判は甘んじて受けるが、その傾向を垣間見ることは可能だと思う。特に新投与経路の開発は、患者の多様的なニーズに対応するために、医療現場に対しては福音となったケースも少なくないはずで、すべてが市場戦略だと断じることはしない。しかし、剤形開発も含めて、当該医薬品の銘柄名の先発イメージが長期化する効果は大きいはずである。


 長期収載薬の必要性はその薬の安定供給にあるという論理は首肯できるが、薬価の維持や安定的な流通、そして安定感のある金融商品としてその位置を長く保つための戦略手法として、新薬シフトは機能し、その戦略が銘柄名の固着化に結び付き、医療現場での長期収載薬の命脈を保たせている側面も無視はできない。 


 最近は聞かれないが、80年代には日本の医薬品産業は護送船団方式といわれていた。それはある意味、公的医療保険が主導する市場メカニズムの構築によるところが大きい。むろん、欧米の製薬産業、ベン・ゴールドエイカーが言うようなマーケティング第一の企業戦略もあるだろうが、日本の場合には医療自体の安定的供給、医業経営の資源としての役割から、新薬シフトが暗黙のうちに了解されてきたフシがあると思える。医薬品産業のみが護送船団であったわけではなく、医療提供そのものが護送船団方式で運営されてきたのだと言っていい。そうでなければ、医薬品承認が、そのまま薬価収載を意味する「常識」となるわけではないのだ。


 その意味では国民皆保険制度、特にフリーアクセスが維持されたままでの医療市場の変革は容易ではない。医薬品市場をはじめとする拡大均衡市場自体が、高齢化時代における「国民皆保険」を支えている。市場縮小策で有効な策があるとしたら、フリーアクセスを制限する公的保険、医薬品承認イコール薬価収載する公的保険の改廃にまで踏み込まざるを得ないのだとみえる。


 医薬品に限らず、医療技術の進歩は、日本では公的保険収載、導入という前提で市場戦略が組み込まれる。一方で、公的保険価格の常識を超える医療技術は、最近では最初から保険導入を考えないという戦略が生まれている。その最も象徴的なものは粒子線治療。保険導入が果たされれば、当初から価格は低廉に設定され(むろん患者には福音になる)、普及・浸透と同時に保険価格は引き下げられる。しかし、市場ボリュームは拡大する一方だから、安定供給という責務は残る。保険価格は下がるが、市場は拡大するから医療保険財政に与える影響は小さくはならない。粒子線治療は、提供側にそのメカニズムを周知されているために、市場をグローバルにとらえた場合、戦略としてそのメカニズムには乗り切れないのである。次回からは、医療機器、特に高額医療機器について眺めていく。(幸)