副社長を退かれたのが2010年だから、若い人にはなじみがないのかもしれないが、「エーザイの松野(聰一)さん」といえば、エーザイのグローバル化を強力に推し進めた“大親分”として、古株の記者にはよく知られた存在だ。
がっしりした体躯に一見、強面で、近寄りがたくも思えるのだが、実際に話してみると、非常にフランクで、自らの言葉できちんと語る。取材相手としては「最高」の部類に入る経営者だった。「親分肌」という言葉が、非常にしっくりくる人物である。
松野氏の手による『グローバル戦国時代を制したサムライ経営の本質』を読んで、その印象をさらに強くしたと同時に、戦略的に仕事を進める“知将”であったことがよくわかった。
〈二〇代の私は「商社の誰にも負けない日本一のセールスになる」と血気盛ん〉だったという松野氏のキャラクターは際立っている。
赴任した海外で〈何でも売ってくれと言われるがままドンドン売った。森永ミルクを売った、レントゲンも売った、オリンパスの内視鏡も売った、でも自社の医薬品はあまり売れない。最後はエジプトでフォークリフトを五〇台売った〉という。
商社マン顔負けだ。正直、製薬会社の営業担当でこんな人に会ったことがない。
そして、アメリカの新薬開発プロジェクトの総責任者として、本領を発揮する。エーザイが一流の製薬会社に飛躍する原動力となったアリセプト。多くの関係者から断片的に、その開発の苦労を聞いてきたが、本書を読んで全体像が見えてきた。
前例のない新しい薬の開発に携わったのは、〈みんな優秀なプロフェッショナルだが、くせ者ばかりだった〉。その個性の強い米国人の研究者のトップに営業出身の松野氏が立つ。
ときには褒めて、ときには釘を刺す――。〈オーケストラの指揮者〉か〈サーカスの猛獣使いにでもなったつもり〉でマネジメントしていたという。
松野氏のスタンスは、〈一度は自前主義でやれ〉。アリセプトでパートナーシップを組んだファイザーとの提携では、〈①ブランド名は自社が決める〉〈②新薬の登録も自社名で(新薬承認申請者となる)〉〈③売りはパートナーに任せ、販売実績は自社子会社に〉という〈戦略提携を成功させる三種の神器〉にこだわった。
新参者ながら、米国での知名度や実績がはるかに大きいファイザーにすべてをゆだねることをせず、主体的に動ける余地を残したのだ。
「一度は自前主義」の狙いは、自社でノウハウを体得したうえで、効率的な方向を模索することだ。最終的には、〈自前主義にこだわりすぎず柔軟に対応したほうがいい〉ものの、的確な指示を外注先に出すためには、全貌を知っておく必要がある。
豪快に見えながら、抑えるべきところを抑え、人心を掌握し、柔軟に対処する――。サムライ経営の本質はここにありそうだ。
■日本の会社は書類が多い
日本型の経営手法を評価しつつも、世界のビジネスを見てきただけに気になる点には苦言を呈する。
例えば、〈日本は総じて書類が多い〉。とかく日本人は将来、自分が責められないために、いろいろな証拠を書類として残したがる。一方、米国の研究者は、当局に書類を出すにあたって、〈許可を取るための必要事項に絞り込んでしっかり記載すればいいと割り切り、必要最小限のコンパクトな書類にまとめた〉という。
スピードや効率が重視されるグローバルビジネスで、〈一番大事なのは目的である。そこで何を求められているのかを理解し、必要十分に絞り込む方法に慣れておかないと、世界では闘えない〉とは正論だ。
現実のビジネスには山もあれば谷もある。想定外が日常茶飯事だ。海外進出関連の書籍は多々あるが、現場で海外進出を進めた人の体験記は、圧倒的にタメになるし、面白い。 「もう時効」の話もふんだんに入っていて、日本の製薬会社が真の国際化を始めたころの熱気や舞台裏の姿も見えてくる。
製薬業界関係者だけでなく世界を目指すすべてのビジネスパーソンに、打ってつけのケース集でもある。
それにしても、最近の経営者は“小者”が増えたなぁ。(鎌)
<書籍データ>
松野聰一著(文芸社1200円+税)