今回から医療機器の市場拡大について眺めていく。前回、医療技術の進歩は、日本では公的保険収載、導入という前提で市場戦略が組み込まれる一方で、公的保険価格の常識を超える高度で高額な医療技術は、最近では最初から保険導入を考えないという戦略が生まれているとの潮流があることを伝えた。
代表例は粒子線治療だが、保険導入が果たされれば、当初から価格は低くなり、普及・浸透と同時に保険価格は引き下げられる。医療保険に縋る市場というものはその宿命は避けられない。
薬価が循環的な下落を余儀なくされていることでもわかるが、さすがに「ハーボニー」や免疫チェックポイント阻害薬などの高額な薬剤が社会問題化することで、医療保険経済市場にも、ナチュラルな「循環的下落」では対応できない課題は生まれてきた。
一方で、新薬企業が高額薬に対応する市場戦略をとる、あるいは全うする環境が整っているかというと、保険医療市場ではその体制づくりは十分ではない。後発医薬品が、慢性的疾患、生活習慣病をカバーするには、その安定供給能力には不安が大きい。長期収載薬はそのためにそのライスサイクルを維持しているという状況は認めなければならないが、医療費という観点からみれば、この市場のダイナミズムを欠いた日本の状態はやはり経済的観点からは歪だとみられても仕方がない。
こうした課題をどのように、市場的にはダイナミックに転換させていくかは、これから本格化する薬価制度論議に委ねられるが、前回にも述べたとおり、詳細な展望は、医薬経済社の報道と薬価制度に詳しい他の論者に任せたい。
●具体的戦略の拠点はAMED
医療機器に関しては、政策的には2つの流れがある。ひとつは、国内の医療保険市場で、どのように遇していくかの問題であり、もうひとつは日本の技術力、開発力に期待した産業振興の観点からグローバル市場への本格的な参入だ。ここではまず、第2の産業振興政策としての医療機器についてみていく。
政府の医療機器産業政策は、07年に策定された革新的医薬品・医療機器創出のための5ヵ年戦略でわかるように、戦略的な路線構図はいつも「革新的医薬品開発」と同時に、総合的に組まれている。ただ、医薬品産業ビジョンが後発医薬品政策にみられるように、医療保険財政を意識した市場変化を期待しているのに対して、医療機器はそれほどの保険財政に対するインパクトがない分だけ、政府戦略の具体性もモチベーションもそれほど高くはなかったのが現実だ。
風向きが変わってきたのは、15年のAMED(日本医療研究開発機構)の発足が契機になっている。戦略はAMEDを軸にした省庁連携によって一気に具体性を帯びるようになってきたと見ることができる。このことは、医療機器の開発主体が、厚生労働省が所管する医薬品産業だけではなく、あらゆる産業分野にまたがることを意味し、そのために規制や産業政策に重心の違う省庁間の連携が必須になってきたということであり、その結節点である開発統括機関であるAMEDの発足が必要だったということができる。むろん、AMEDは革新的新薬を生み出す、総合拠点としての役割は大きいし、注目の程度も現状では医薬品の方がはるかに大きい。
特に医療機器に関する政策の駆動機関としては、経済産業省の動きが関心を集める。経産省の母体であるかつての通商産業省(通産省)は、医療関連産業に関して旧厚生省と折り合いが悪かった時期がある。むろん、この折り合いの悪さの具体的事態については、メディアに関心がなかったこともあり、ほとんど水面下で行われた経緯がある。
70年代後半から80年代にかけて、主として「薬価差益」問題から薬価政策に医療保険運営の重心が傾いて(今でもそうだが)いた頃、通産大臣の諮問機関である産業構造審議会のある部会で、厚生省の医薬品産業政策に批判が出されたことがある。批判の論点は、医薬品産業の育成も担わなければならない厚生省が、医薬品市場の縮小化を基本とするなら、通産省が医薬品産業育成の政府機関として機能しなければならないのではないかというものだった。育成を阻害する市場政策(医療保険政策)を同時に同じ官庁が受け持つのは矛盾ではないかということだ。
この議論をキャッチした当時の厚生省は、それならば薬事法に産業育成のための経済政策を盛り込むとか、医薬品産業育成法などの新法を準備してもいいと反論した(あくまでも水面下だが)ことがある。
また90年代でも、介護政策に関連して、介護ビジネス育成・規制の主導権を通産省が考えていたフシがある。所管課までには至らなかったが、在宅ケアビジネスを米国のいくつかの成功例を教科書に研究する室を設置したことが、そうした動きを推測させたが、当時の通産省は表立った動きはみせなかった。 一方で、厚生省もこれに対抗するようにJETRO(日本貿易振興機構)へのキャリア官僚派遣を実現させ、米国で介護システムの研究を行い、その後の介護制度創設につなげた。介護制度が診療報酬とは異なり、その報酬の基本を「時間」においたことなど、米国の民間ビジネスに学んだことが読み取れる。なお、現在の経産省の産業構造審議会は、01年の省庁再編後に新発足したもので、通産省時代とは違う。
しかし、省庁間連携が行われ、医療機器の研究開発、産業育成に関して経産省がその一角を占めたことは、これまでの経緯をみるかぎり、将来的には医療保険政策、あるいは民間保険政策に大きな発言力を持つとの展望は持っていたほうがいいかもしれない。
●今のところは国際戦略に重心を傾けつつ
その経産省だが、AMEDの発足に合わせるように、15年秋に商務情報政策局医療・福祉機器産業室が、政策のアウトラインを公表している。同年6月に閣議決定された、「日本再興戦略 改訂2015」に沿ったものとしているが、副題は「政府全体および経済産業省における医療機器産業政策」とされており、医療機器に関しては主導権をとりたいとの意識が垣間見える。
主要項目をみると、①オールジャパンでの医療機器開発=医工連携の推進(医療機器開発支援ネットワークの構築)、世界最先端の医療機器開発②開発・製品化を円滑にするため規制・制度面からの環境整備③技術とサービスが一体となった海外展開の推進――が挙げられている。
特に海外展開は言うまでもなく国際戦略であるが、これは米国商務省の政策エリアとの一致点がみられる。医療市場分野での成長戦略の主導権は、米国では商務省が担っている。米商務省は、かつて日本の薬価政策、医薬品流通に関して「非関税障壁」を具体的に指摘、批判してきた経緯がある。国際戦略では、海外市場開拓において、相手先国の「障壁規制」、「商習慣」への研究も疎かにはできないという点で、経産省は相応の研究が進んでいるという自負とみられなくもない。次回は、経産省のこのペーパーから読み取れる戦略を紹介し、今後を展望する。(幸)