天気図の秋雨前線を睨みながら秋の山歩きに出かけると、行き先にもよるが、ハッと目が覚めるような鮮やかな色の花をつけたトリカブトの群落に出くわすことがしばしばあった。筆者が学生の頃の話である。初めて間近に実物を見たときには、その色と形の特殊性からか、図鑑の写真で見るのとはまた異なる迫力があって忘れられないシーンとなった。最近でも秋の山歩きでトリカブトには出会うが、その頻度も、また一回に見つける植物体の数もめっきり減ってしまったように感じている。動物はトリカブトが猛毒を含むことを知っているので、鹿や猪が増えたから食害が増えたとは考えにくいし、トリカブトの生育に不向きなほど温暖化が進んだとも思えないのだが。


  


 トリカブトは葉や茎、花、また地下部にもアコニチンをはじめとするアルカロイドを含んでいる。アルカロイドと総称される化合物には色々な種類があるが、トリカブトのそれはブシジエステルアルカロイドと言われる種類で、猛毒である。血液中に入ると短時間のうちに死に至る確率が高い。また、その含有濃度は地下部にあるイモ(植物学的には根茎)が最も高い。このことを利用して、ヒトは昔からトリカブトの根茎をすり潰して狩猟の際の矢毒として利用していた。 


 しかし大昔には、この猛毒をヒトの疾病治癒のために使ってみようと思った者が居たらしい。その記録に無いエピソードから経験を重ねること、計り知れず長く、現在ではこの猛毒は加工することで安全性を高め、有効な医薬品として日本でも医療現場で使われているのである。それすなわち、生薬ブシである。 


 ブシは“附子”と書いてトリカブトの当年の根茎(=烏頭:ウズ)の隣に新たにできてくっ付いている子イモのことを指す場合もあるが、生薬を医薬品として取扱い、取締る日本では、ブシも医薬品としての取扱いがあり、その場合は安全性と品質が担保されている必要がある。附子すなわちトリカブトの根茎は、高圧蒸気処理等の加工をすることで強毒性を示す成分が減量され、医薬品として安全に使えるようになることから、日本薬局方では、「ブシ」とカタカナ表記することで加工した生薬であることを意識的に示すようになっている。


 


 日本薬局方を見ていただければ詳細がわかるが、「医薬品各条 生薬等」の中の「ブシ」のところには、アコニチン、ジェサコニチン、ヒパコニチン、メサコニチン(いずれもブシジエステルアルカロイドと称される化合物)について、それぞれブシ1グラム中に許容される含有量は60、60、280、140マイクログラム以下で、更にこれら4成分の総合計が450マイクログラム以下と厳密に決められている。しかし、ブシのアルカロイドはただ少なければ良いというものではなく、ベンゾイルアコニンやベンゾイルメサコニン等の、ブシジエステルアルカロイドとは異なるタイプのアルカロイドについては、規定された濃度の範囲で含有されている必要がある、のである。


 後者のベンゾイルアコニンやベンゾイルメサコニン等のアルカロイドは、トリカブトの根茎を高圧蒸気処理した際に、ブシジエステルアルカロイド類が変化して生成した成分であるとされており、痛み止めの作用があると考えられ、さらにブシジエステルアルカロイドと比べると毒性は約150分の1なのだそうだ。ブシを含む漢方処方には、八味地黄丸、牛車腎気丸、桂枝加朮附湯など、その効能効果のひとつとして鎮痛作用が期待されるものが複数あるのだが、それはブシの鎮痛作用が大きく寄与していると考えられるということだろう。


 前述のように、ブシでは生薬を加工することで成分が変化し、減毒されてその効能効果が変化している。生薬の加工は、成分を変化させるためだけでなく、不要な部分の除去や生薬の味やにおいを服用しやすいように変化させるなど、様々な目的で、また様々な方法で行われるが、このような生薬の加工のことを修治(シュウチ・シュウジ)あるいは炮製と称することがある。ブシは修治で毒が薬に変化する、いわば薬毒同源の典型的な例であると言えるだろう。 


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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。