シリーズ『くすりになったコーヒー』


 今月の17日、神田外語大のプレス・リリースで「シーボルトの直筆新資料が見つかった」とのことでした。


●新資料によると、シーボルトは日本の植物を調査して、ヨーロッパで有名になりたかった(詳しくは → こちら)。


 1823年に長崎へ来たシーボルトが、28年の帰国直前に捕縛され、30年まで幽閉され、最後は追放されたという経緯の中で、新資料は結構面白い話です。でも筆者は「シーボルトの本当の目的」はもっと別にあるような気がしています。


●ドイツ人のシーボルトがオランダ人に化けてまで日本に来た目的は、大好きなコーヒーを普及伝道して有名になるためだった。


『自分が煎った豆が一番旨い』とか、『自分が淹れたコーヒーでないと駄目だ』とか、兎に角コーヒーが大好きという奴は、自分を前面に出して他人にもそうしろと言いたがるものです。シーボルトも例外ではありません。ですが、ヨーロッパにはもっと凄いコーヒー狂が大勢いたので、新天地を求めてコーヒー未開の日本へやってきたのです。




 シーボルトと同郷で同世代のコーヒー狂と言えば、それはもう大ベートーベンでしょう。


●コーヒーはキッチリ60粒を数えて淹れなければならない。


 ですからシーボルトがどれほど頑張っても大ベートーベンに適うわけはないのです。同じ頃、余りのコーヒーブームに業を煮やしたフリードリッヒ国王は、国内の焙煎工場を全部閉鎖して、コーヒーを飲むことを禁じてしまいました。それでも飲まずにいられない連中が、コーヒーの代用品を探し回って、結果としてチコリやタンポポを見つけたのです。その過程でコーヒー狂たちの植物研究の熱意は大変なものでした。しかし、シーボルトは代用コーヒーでは我慢できなかったのです。


●もし日本でコーヒーノキに代わる植物が見つかれば有名になれる。


 シーボルトは本気でその気になって、わざわざオランダ語を勉強してまで日本にやってきました。もちろんオランダ領産のジャワコーヒーを持ち込んで、その味と香りを日本人に憶えさせようともしたのです。シーボルトの熱意は東インド会社に宛てた手紙の文章でも明らかです。この話は木版画家・奥山儀八郎の著書「コーヒーの歴史(絶版)」に残っていますし、長男の義人(日本コーヒー文化学会理事)が描いた木版画(写真参照)にもその様子が描かれました。


 それでは、名著「コーヒーの歴史」から『シーボルト先生のコーヒー販売論』を引用します。これを読めば、シーボルトの日本滞在の目的が、コーヒー販売であったこと、納得行くと思います。


【シーボルト先生のコーヒー販売論】(注:一部は読みやすく改変しました)


『1823年、出島のオランダ館の医者として来日したシーボルト先生は、その日本紀行に珈琲について面白い意見を述べられている。次にそれを書き出して見ることにする。


 ある晩に我々は長府公の侍医の訪問を受けた。私は、この侍医に数種類の新薬と一つの小冊子を進呈した。この冊子は・・・・・(中略)・・・・・『薬品応手録』と題してある。これは私の門人、阿波の高良齋が日本語に翻訳して序文を付け、私の費用で出版したものだ。私たちは既にその数百部を頒布したが、それは医者の注意を日本にもある有効な新薬草、ならびに今まであまり人が知らない他国の薬剤に向けて、その販路を開くことを目的としたものであった。その中には・・・・・(中略)・・・・・珈琲なども漏れなく記載した。特に、珈琲の治効のあることに意を用いて記している。


 日本人は暖かい飲み物だけを飲み、交際的な会合生活を好むにもかかわらず、また200年以上も世界の珈琲商人(オランダ人)と交易しながら珈琲がまだ日本人の飲み物となっていないことは実に驚くべきことである。日本人は我々と会合するときは好んで珈琲を飲む。そして1年間に数ピコル(1ピコルは約60Kg)では足りないほどである。であるから、日本の一般の人々に珈琲を飲むという小さな不徳を教えることは、その労にむくいるだけの功績もまたあることと思われる。


 このことは、きちんと計画を立てて実行すれば不可能なことではないと思われる。そのためには、珈琲を賞賛する宣伝を行なうことが良いだろう。例えば、珈琲は長生きの為の良薬であって、特に日本の様な国でこそ保健剤として用いるべきだと推奨すればよい。ただし、珈琲を日本に勧めるのに問題が2つある。一つは、焙煎には難しい技術を必要とすること。・・・・・(中略)・・・・・日本人は知識も持たずに適当に焙煎を行なうので、すぐに煎りすぎてしまい、私たちが推奨する珈琲の味とは程遠いものとなってしまい、珈琲の評判を損なうこととなってしまう。その対策として次のようにすればよいと、私はオランダ政府に勧告したことがある。それは、毎年数千ポンドの珈琲を日本に送る事、それは焙煎し粉に挽いてきれいなカンかビン詰めとし、レッテルを貼り、調理方法と飲み方の指図書を記入すること。これが、私が切望するところであった。』


 というわけなので、シーボルトが如何に真面目に日本人にコーヒーを勧めていたかがわかるというものです。ですからシーボルトが日本に来た最大の目的は、オランダコーヒーを黄金の国・日本向けに輸出すること、次はコーヒー生産領土のない祖国ドイツに向けて、日本産コーヒー代替植物を紹介することだったのです。


●そしてシーボルトは最新日本地図まで携えて第二の故郷へ向かおうとした。


 あえなく逮捕されたのですが、神田外語大の新資料は、シーボルトの飽くなき貪欲さを示す貴重品であることに間違いありません。


(第268話 完)


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