シリーズ『くすりになったコーヒー』


 健康食品ブームが止まりません。新食品表示法の影響もあって、来る2016年の宣伝文句は益々過激になることでしょう。健康の基本は「医(または薬)食同源」と言いますが、何がほんとに体に良いのか・・・人気食材は日替わりメニューのように変わります。変わらないのは医食同源の原理のはずが、ポリフェノールとか酵素とか、商品名に惑わされてか、本意が社会に根づくことはありません。



 今は廃刊となっている大修館書店「月刊しにか」に、東洋史家・真柳誠氏の「医食同源思想の成立と展開」が書かれています。執筆の動機は、日中韓三国共通に、あたかも中国古典にあるかのように語られているからとのことでした。


●「医食同源」は1970年代に日本人が考え出した造語である。


 ですからまだまだ生活に密着してはいないようなのです。この造語が生まれた切っ掛けはNHKの人気番組「今日の料理」のなかで、医師である新居裕久氏が咄嗟に口にしたのだそうです。今なら流行語大賞間違いなしの昭和生まれの日本語です・・・という経緯はあまり知られていないので、ちょっと長いですが真柳氏の文章を借りて、医食同源の本意を啓蒙したいと思います。


●『(以下引用)最近の大型国語辞典の多くに、医食同源は中国の古くからの言葉などと書いてあるが、出典を記すものはない。一方、新宿クッキングアカデミー校長の新居裕久氏は、一九七二年のNHK『きょうの料理』九月号で中国の薬食同源を紹介するとき、薬では化学薬品と誤解されるので、薬を医に変え医食同源を造語したと述懐している(2011,2,1追記:新居氏が薬食を医食に書き間違えた、という珍説もある。もし珍説どおりなら、『管子』牧民の「衣食足則知栄辱」に由来する衣食足りて礼節を知るの「衣食」は、中国語も日本語も医食と同音につき、新居氏が書き間違えた可能性を推測していい。また現在の中国でも医食同源を使うことがある背景ではなかろうか)。これに興味をおぼえて調べたが、やはり和漢の古文献にはない。朝日新聞の記事見出データベースでみると、なんと初出は九一年三月一三日だった。『広辞苑』でも九一年の第四版から収載されていた。


 国会図書館の蔵書データベースでは、七二年刊の藤井建『医食同源 中国三千年の健康秘法』が最も早く、のち「医食同源」をうたう書が続出してくる。藤井建氏は私も会ったことがある蔡さんという香港人で、さかんに中国式食養生を宣伝していた。すると新居氏と蔡氏の前後は不詳だが、医食同源は七二年に日本で出現した言葉に間違いないだろう(もっと詳しく全文を読みたい人は → こちら)。』


 さらに付け加えるならば、中医学発祥の原点と言われる「神農本草経」は勿論のこと、ここから発達した中医学・薬学の古典書には、薬として絶対に使わない食べ物の名前が書かれています。加えてそのすべてに何らかの効能がついています。今となっては意味のない記述も多いのですが、栄養の概念もなく、医薬品もなかった時代に、人々が如何に食べ物を大事にしていたのか察することができるのです。


●食べ物も薬も同じものであるが、病気になったときに食べ物の食べ方を工夫すれば、食べ物が薬となって病気を治すことができる。


 今では当たり前のことで、「ビタミン不足の病気にはビタミンを多く含んだ食べ物を食べれば治る」ということなのです。ビタミンのような必須栄養素の場合は典型的ではありますが、必須栄養素には分類されていない低分子化合物を、色々食べ合わせれば病気を予防する効能を発揮するのです(もっと知りたい人は → こちら)。


 再び真柳氏の文章をお借りしましょう。
●『神農本草経』を核に発展した中国薬物学の歴代本草書には、ふつうの薬物治療には使用されない穀物・野菜・果実・鳥獣・魚貝などが当初から収載されてきた。およそ純然たる食物でも、本


草に記載のないものはないといっていい。真偽や有効程度はさておき、それらのことごとくに何らかの効能が記述してある。この本草体系が背景にあるからこそ、薬食同源や医食同源の造語が生まれたのである。


●つまり中国人にとって食べ物とは薬であって、時と場合によって食と薬を使い分けて来たということなのだ。


 それでは皆さん、来年は申の年ですぞ!真似事でも宜しいので自分でコーヒーを淹れてみましょう。


(第262話 完)


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