シリーズ『くすりになったコーヒー』
それは何のためだったのか、どんな風になされたのか・・・等々の確かな記録は残っていません。後世の誰かが尤もらしく創作したお話なのかも知れません。つまり、コーヒー発見物語と同じく作り話ということで、私もそうだと信じています。
●ローマ法王クレメンス?世(在位1592年〜1605年)は、イスラムの「悪魔の飲み物」に洗礼を授けて、キリスト教徒が飲んでも罪にならないようにした。
16世紀と17世紀の境目に、コーヒーに洗礼が施されたというのですが、正確な年月日はわかりません。そもそもコーヒーが「悪魔の飲み物」であると言い出したのは、キリスト教徒に違いないのです。であれば、懺悔すべきはキリスト教徒自身であって、イスラムのコーヒーは濡れ衣を着せられたと言うべきなのです。
もう1つつけ加えますと、この時代のヨーロッパには、イスラム諸国への旅人が持ち帰ったお土産コーヒーしかありませんでした。それを伝える当時のコーヒー史は次の通りです。
☆1573 ドイツの医師ラウウォルフ、シリア旅行記でコーヒーを紹介した。
☆1592 イタリアの医師アルピーニ、著書でコーヒーノキを紹介した。
☆1601 パーリー著「シャーリー旅行記」に、最初の英語名coffeが書かれた。
☆1640 ヨーロッパ初のコーヒー商業輸入をオランダが始めた。
そういうことですから、なにも法王がコーヒーに洗礼を授けるほどコーヒー需要は多くはなかったのです。もし必要になったとすれば、その時期とは、コーヒーの商業輸入が盛んになってから、つまり多くの人々がコーヒーを飲むようになってからのことであって、クレメンス?世がこの世を去って50年ほど後の話なのです。
では、洗礼が必要な理由とは何でしょうか?
●コーヒー商業輸入に反対する勢力が「コーヒーは悪魔の飲み物」と称して輸入禁止を訴えたので、輸入業者は「法王がコーヒーに洗礼を授ける」という事実を捏造してでも巻き返しを謀った。
実際1777年のドイツでは、ビール業界からのコーヒー輸入禁止の直訴を受けたフレデリック大王が、コーヒー輸入禁止令を発布しています。禁止令までにはならなかったものの、「コーヒーは体に悪い」との医学的考察とか、「大騒ぎが朝まで続くのでうるさくて眠れない」とのカフェ周辺の住民苦情は後を絶たなかったと思われます(詳しくは → こちら)。
フランスでは1806年、ナポレオンの大陸封鎖令によってコーヒー商業輸入は事実上禁止されました。アルコール中毒の予防のために酒場カフェがコーヒーを振舞ったイギリスでは、酒もコーヒーも飲めるカフェに男たちが入り浸っていました。そして朝まで家に帰らない亭主に業を煮やした主婦連が、ロンドン市長にカフェ禁止令を求めたのは1674年のことでした。
●理由は兎も角、コーヒー禁止令に怯えた輸入業者は何とかしてコーヒーを社会に受け入れられる飲み物にしたかった。
そういう輸入業者とはどんな人たちだったかと言いますと、多くが薬の関係者でした。なぜ薬屋がコーヒーに手を出したのかと言いますと、年表にも見られるように、コーヒーをヨーロッパに最初に持ち込んだのは、裕福で旅好きな医者だったからと思われます。お土産のコーヒー豆を使い切った医者たちが、薬屋に頼んでコーヒー輸入に向かわせたのです。イスラム世界ではコーヒーが薬だったことも理由の1つと思われます。
薬屋の努力によってやがてコーヒーの輸入量が増えてきますと、首都を中心にカフェが立ち並び、富裕層だけでなく一般庶民もコーヒーを飲むようになりました。ときは17世紀半ばであり、ヨーロッパの国々が競ってコーヒーを輸入するようになっていました。するとイスラム社会がそうであったように、キリスト教のヨーロッパでも「コーヒーは毒か薬か?」の議論が激しさを増してきたのです。
●そして遂に、50年前にあった本当の話として、「法王クレメンス?世がコーヒーに洗礼を授けて下さった」。
こんな作り話が、いとも本当の話であったように語られ始めたのでありました。
さて皆さんはこの話をどうお感じになるでしょうか?本当に本当の話なんですけどね。
(第261話 完)
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