シリーズ『くすりになったコーヒー』
江戸後期の1803年、蘭学者・廣川獬は「コーヒーは浮腫病に効く」と翻訳本「蘭療法」に書きました。その数年後の1807年(文化4年)、幕府は蝦夷地を窺うロシア艦隊を警備するため津軽藩士を宗谷岬周辺に派遣したのだそうです。
津軽藩士は知床半島周辺にも派遣されました。そのうち斜里で越冬した100名のうち72名が全身に「むくみ」を呈して死亡したのだそうです。「むくみ」以外の症状の記録はほとんどないので、詳しい症状や原因は解らないのが実態です。
●1855年の第2次遠征では、藩士たちにコーヒーを配給したお蔭か、浮腫病による死者は0だった。
まず筆者が訴えたいことは、「むくみ」を呈する病気の種類は沢山あるということです。しかし、コーヒーが効く「むくみ」を連想するのはむずかしいというのが本音です。その理由は、コーヒーに含まれる必須栄養素(食べないと病気になる)は、少々のミネラルの他には、ビタミンB3のニコチン酸があるだけです。当時はまだビタミンの概念がなかったし、「むくみ」を分類する術もなかったのです。
津軽藩兵の悲劇の記録を見つけ出し、稚内市の宗谷公園に「津軽藩兵詰合の記念碑」を建立したのは、弘前市の珈琲店主・成田専蔵氏です(詳しくは → こちら)。
もう1人、愛知県豊川市で共立萩野病院の院長を務める荻野鐵人氏も、コーヒーと浮腫病=水腫病について、病院ホームページのコラムに綴っています(詳しくは → こちら)。
荻野氏は医師ではありますが、記録に残る「むくみ」の症状を量りかねています。記録には「コーヒーが効いた」ということ以外、具体的な症状は残されていないからです。「むくみ」にも色々ありますから、そこで今回は、浮腫病、水腫病、その他むくみの症状で、宗谷岬であったかも知れない病気について、整理してみたいと思います。
表1は「家庭の医学」から引用しつつ並び替えたりしたものです。体のどこかに現われる「むくみ」と、そのとき同時に見られる随伴症状を一緒に並べて整理しました。
●まず第1に、心・肝・腎の病気が原因の「むくみ」がある。
尿の出が悪くなる腎臓病なら、体に余分な水分が溜まって「むくみ」ます。表1の腎性浮腫の3疾患がそれに当たりますが、コーヒーが効くという話はありません。血液を送るパワーが弱まる心臓病ならば、特に体の下半分から心臓に戻る血液の戻りが悪くなって「むくみ」ます。心不全はその代表といえる病気です。肝臓が悪くなると、お腹に水が溜まる腹水という状態になってしまいます。
●ホルモン異常が原因の「むくみ」では、甲状腺ホルモンと副腎皮質ホルモンが関わっている。
これにもコーヒーが効くという話はありません。
1つ飛ばして静脈性とリンパ性浮腫もコーヒーとは関係なさそうです。となりますと、残るのは栄養不足ということだけで、これなら極寒の地に長く留まった津軽藩士にとって、大いにありそうな原因だと思えるのです。
●コーヒーは表1の低蛋白血症やビタミンB1欠乏症には無効である。
津軽藩士に配給された焙煎コーヒーに蛋白質はほとんど含まれていないし、ビタミンB1も入っていません。そんなコーヒーが効いたのですから、津軽藩士の死亡原因はB1不足ではなかったと考えられます。上記した成田氏も荻野氏もビタミンB1欠乏症に注目していますが、少なくともそれが直接の原因であったとは考えにくいと思います。
●史実として「コーヒーが効いた」が正しいならば、焙煎コーヒーに含まれているビタミンB3(ニコチン酸)が藩士救命の有効成分であったはずです。
しかしB3は「むくみ」を治すようなビタミンではありませんし、表1に青で記入した蘭に「むくみ」の文字はありません。にも拘らずコーヒーのB3が「むくみ」に効いたわけは一体何なのでしょうか?筆者は藩士たちの栄養状態はB3の欠乏だけではなく、B1も同時に不足していたのだと思っています。その中で藩士たちを死に追いやった直接の原因が、B1ではなくB3の欠乏だったのではないでしょうか?
B3が特に重要だったもう1つの理由は、少ない蛋白質や穀類を効率よくエネルギーに変えるために、B3はエネルギー代謝の補酵素(NADなど)として、なくてはならない必須栄養素だったのです。ですから、ビタミン欠乏症の症状を比較して見ますと、B3欠乏症が最も重症化しやすい死亡原因として納得できるのです。
●津軽藩士を極寒の地で死に追いやった直接の原因はビタミンB3不足であったが、B1不足が相まって「むくみ」を呈して亡くなったと想像できる。
またいつか宗谷岬を訪れる機会があれば、コーヒー豆だけでなく豚肉も少々お供えしようと思います。
(第243話 完)
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