シリーズ『くすりになったコーヒー』


「コーヒーが病気を予防する」という疫学論文が3,000編を超えました。全部読んで解ったことは次の3つ。


1.希少疾患と感染症を除くほぼすべての病気が調査された。
2.毎日コーヒーを飲む生活習慣が四大死因病の罹患リスクを下げている。
3.結果としてコーヒーを飲む生活習慣が平均寿命を引き延ばす。


 疫学データが増えるにつれて、「どうしてコーヒーが効くのか?」の実験が始まりました。カフェインが神経細胞を活性化すること、クロロゲン酸が血糖値を下げる、トリゴネリンが免疫細胞を抑制する・・・というような論文が沢山出ています。しかし、これらをいくら足し合わせても四大死因病(癌、心臓病、脳卒中、呼吸器疾患)を予防して平均寿命を延ばすという「コーヒーの効き目」は説明できません。


●四大死因病を予防するとどうして寿命が延びるの?


 取り敢えずの答えは「病気にならないから」ですが、これでは薬理学的説明とは言えません。今世紀初めに、「赤ワインのレスベラトロールが長寿遺伝子を刺激して長生きする」との論文がNature誌に載りました。しかしこの論文は後に否定されてしまいました。現段階では「コーヒーが平均寿命を延ばす薬理学」は解っていません。


 ここで改めて「薬としてのコーヒーの歴史」を振り返ります。すると、放置すれば今でも不治の病なのに、コーヒーが効くと言われていた病気に気づきます。


●17世紀半ば、ロンドン初のコーヒーハウスの広告に「コーヒーは浮腫病と壊血病に効く」と書かれている(書いた人は血液循環論のウイリアム・ハーベーとの推測あり)。


●19世紀半ば、宗谷岬で北方警備のため越冬した津軽藩兵は「コーヒーを飲んで浮腫病を免れた」との記録がある。


 一説によると、壊血病と浮腫病は同じ病気です。古代ローマ軍の遠征時に似た病気の記録があるそうですが、Scurvy(壊血病)と言う名は15世紀末に帆船の実用化が始まってからのこと。Dropsy(浮腫病)は体に水が溜まった状態でEdema(浮腫)とも呼ばれ、飢饉のときに起こる種類を流行性浮腫病(Epidemic Dropsy)と呼んで区別していたようです。日本では専ら浮腫病と呼ばれました。ですから「壊血病と流行性浮腫病」は同じ病気と言えそうです。


●大航海時代(15~17世紀)の200年間に少なくとも100万人の船乗りが壊血病で死んだ。


 にもかかわらず、航海中にコーヒーが配られた記録がありません。詳しくは書けませんが、「航海中の船内で毎日高価なコーヒーを飲めたのは船長室だけだった」と想像できます。何故なら当時のコーヒーは非常に高価であったため、身分の低い船乗りたちに配られることはなかったはずです。つまり、コーヒーハウスの広告に書かれた「コーヒーは浮腫病に効く」は、大航海の船長とその側近たちの話であって、船長が浮腫病で死んだという記録はないのです。


●コーヒーが浮腫病(壊血病)を予防するとの歴史的傍証は宗谷岬の記録以外に存在しない。


 そこで、宗谷岬で津軽藩兵が食べていたであろう1日の食事の内容【津軽藩氏・斎藤文吉の日記から:米2合(300グラム)、味噌(10グラム)、干し鱈(100グラム)、沢庵(20グラム)、はくさい塩漬(30グラム)】について、主なビタミンの充足率を、文科省「食品成分データベース(https://fooddb.mext.go.jp/)」を使って計算すると、表1ができます。充足率の他に、メルクインデックス他から引用した溶解性と体内半減期、および筆者の推測ですが、欠乏リスクと生命リスクの大よその大小比較を書き込みました。


 ここで現代科学のメスを入れてみます。昨年発表された論文によりますと、実際に深煎コーヒーを飲んだ後に、尿中からニコチン酸が検出されました(図1を参照)。宗谷岬の津軽藩兵たちは、当時貴重だったコーヒーを毎日飲んでいましたから、体内のニコチン酸量はビタミンとしての必要量を満たしていたと推測できます。また筆者らの実験では、深く煎ったコーヒー豆には最大で5ミリグラム/1杯10グラムのニコチン酸が入っています(詳しくは → こちら )。




●深煎コーヒーを飲んでいた津軽藩兵のVB3充足率は100%に達していた。


 ということは、ミトコンドリア(Mt)でエネルギーを作る補酵素NADはほぼ正常だったことを示唆しています。そして唯一豊富に備蓄していた津軽の米が十分量のグルコースの素になったはず、その代謝分解で生じるピルビン酸はMtにエネルギー原料として供給されたはずです。しかしVB3とピルビン酸以外の栄養素はほとんどが不足していました。それでも津軽藩兵が全員生きて故郷へ戻れたことには、浮腫病の重症化を防いだ何かがあったはずです。これを考える前に、現代医療が危篤状態の患者に対して行う栄養補給を見てみましょう。


●重症患者がICUで受ける救命栄養措置とは?


 昨年、このことについてよく纏まった論文が出ています(詳しくは → こちら )。


 図2をご覧ください。ICUで集中治療を受けなければ命が危ない患者にとって、Mtの機能障害は致命的です。青い四角に白字で示すのは、Mtの機能障害が全身に及ぼす病的影響です。どんな薬物治療を施すとしても、的確な栄養補給(緑色)がなければ助かりません。逆に栄養補給が有効に働いた患者なら、Mt機能が改善されて、薬物治療にも反応しやすくなります。そしてICUを出た後の順調な回復が見込まれるのです(茶色)。


 宗谷岬の津軽藩兵に浮腫病の症状が出たとしても、当時は治療法がありませんでした。Mtの機能がギリギリの状態だったとはいえ、それでもコーヒーを飲むことで越冬期間中に亡くなることはなかったのです。図2の右側を見て下さい。


●Mtが機能を発揮するためには、補酵素NADの他にビタミンその他の小分子が必須。


 緑色の表に書いた赤字(コーヒー由来)を除く小分子が、どれも大なり小なり不足していたとはいえ、どうにか役目を果たしました。これらのうち8つのビタミンと1つのミネラル(セレン)は必須栄養素ですが、その他の8つは必須ではありません。さらにカフェインを除く7つは体内でも合成される小分子です。ではカフェインはというと、もしあれば、Mt機能の向上に寄与するとの説がありますが、詳細は不明です。


 それでは最後に、津軽藩兵がコーヒーを飲んで補充したVB3(NAD)とVCの関係について考察します。


●VCはMtに集まって抗酸化性を発揮する(詳しくは → こちら )。


 図3をご覧ください。Mtの膜にVCを輸送するタンパク質があって、内部のVC濃度は外より高くなっています。MtのVCは、活性酸素の消去(左下)に加えて、カルニチン合成を助けて、脂肪酸のMtへの取り込みとβ-酸化分解を促進し、アセチルCoA合成に寄与しています。カフェインがあると、カルニチンによる脂肪酸の取り込みがより早くなります。またVCはアドレナリン合成の補酵素で、アドレナリンがグルコース代謝分解を促進するので、ピルビン酸の供給効率が高まります。このように、VCはMtにエネルギー原料を補給する役目を果たしているのです。


●ニコチン酸はNADとなって、エネルギーを作るTCA回路を回転させる。


 図3の赤字です。Mtが作るエネルギーとは、TCA回路の回転で生まれる高エネルギー物質ATPのことです。ニコチン酸(VB3)からできるNADが、TCA回路を動かす補酵素となってATPを作っています。TCA回路は、いわば人体の発電所として、極言すればVCとNADで回転しているのです。


 ここで1つ困ったことに、NADがTCA回路を回転させると、自らはNADHに変化して、同時に活性酸素を放出します。この活性酸素は俗に「錆の原因」と言われるように、周辺の酵素その他を変性させて、Mtの老化と死を招く障害となります。これを阻止するためにVCが必要で、VCの強い還元力が、活性酸素の酸化性を中和しています。一方、Mtから細胞質に漏れ出した活性酸素はそれなりに処理されますが、発生現場のMtで処理するのが最も効率的な処理法なのです。


●VCはMtにとって重要なのだが、その詳しいメカニズムは解っていない。


 NADはVCがなければ機能の持続ができません。VCとNADは車の両輪であって、どちらが欠けても生きて行けません。しかし、少ないVCがMtに集合するとはいえ、不足していることに変わりはなく、その不足を何がどうやって補っているのか、その詳細は未知の話です。今言えることは、ごく最近になって1つの可能性が示唆されたことです(第377話も参照)。


●糖尿病ラットに深煎コーヒーを飲ませていると、眼のレンズにVCが増えて、白内障が予防できる(詳しくは → こちら )。


 コーヒーの白内障予防効果を高脂肪食ラットで実験したところ(図4)、眼球レンズにVCの蓄積が観察されました。そしてこのラットに白内障は起こりませんでした。作用成分を解析した結果、カフェインの他にピロカテコールが関与していることが解りました。図右の棒グラフで、高脂肪食ラットのレンズではVC濃度が低下していますが、カフェインだけ含む生豆エキスではそこそこ回復し、深煎りにしてピロカテコールを増やしたコーヒでは、ピロカテコールの効果が加算されていたのです。




 この実験は眼のレンズだけを観察したものですが、もし他の臓器にもVCの蓄積が起こるのであれば、津軽藩兵の浮腫病の予防にVB3を含むコーヒーが効果的であった理由が説明できることになります。もう暫くの間、コーヒーサイエンスの進展を見守りたいと思います。


(第379話 完)


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