シリーズ『くすりになったコーヒー』


 去る2月18日、お茶の水女子大学で催された第14回ミャンマー・フォーラムに行ってきました。久しぶりに元気な佐竹元吉さんの話を聞きたかったのです(詳しくは → こちら)。



 前世紀末、国連はケシ栽培撲滅運動(現在は麻薬撲滅運動)を発議しました。イギリスはアフガニスタン、米国はネパール、そして日本はミャンマーのゴールデントライアングル(黄金の三角地帯)を受け持つことになったのです。これより前に中国は、ミャンマーと国境を接する雲南省に、ネスレ社の資本を注入して、広大なケシ畑をコーヒー農園に大変身! 国連はこれを真似したのかも知れません。


 コーヒーベルト……赤道直下から北・南緯25度の範囲内、地球の腹巻みたいな熱帯〜亜熱帯の発展途上国。コーヒー豆の生産が現金収入を実現しています。未開拓でも適地を持つ国は、競ってコーヒー農園を広げています。特筆すべきは、東南アジアに見られる違法なケシ栽培地で、これを有用植物に植え替えるお話です。


 さてミャンマーでは2000年にケシ栽培撲滅宣言を出して、日本と協働作業に入りました。国際協力機構(JICA)などを通じて複数のプロジェクトが活動を開始……でもなぜかコーヒーノキを植える計画はありませんでした。プロジェクトの1つに、厚労省が働き掛けた佐竹元吉翁の「ケシ畑を薬草畑へ」があったのです。


 佐竹翁は東京薬科大卒(筆者と同期)の薬剤師で、厚労省・衛生研究所に勤務して、生薬部長を務めました。定年を迎えた年に才能を買われてミャンマー・プロジェクトに駆り出されたのです(詳しくは → こちら)。



●ミャンマーでもコーヒー生産が始まった。



 ミャンマーには昔から小さなコーヒー農園があったようです。でもそれらは家庭樹園のようなもので、生活費を稼げるような規模ではなかったようです。利益を出せるコーヒー農園が出来たのは、ようやくここ数年のことです(写真2:アタカ通商提供)。日本のコーヒー関係者も興味を持ちはじめました。買い手がつけば、雇用も増えるというものです。


 佐竹翁はコーヒーには手を出しません。でも彼の友人のなかにはミャンマーでコーヒーノキを植える人がいるのだそうです。ちょっと話を聞いて見ましたら、「去年はとても良い豆ができた」のに、「今年は再現できなかった」のだそうです。「理由がわからない」とも言ってました。たぶんの話ですが、焼き畑式のケシ栽培で移住生活に慣れ切った山岳民族が、コーヒー適地に定着して農園労働に専念すれば、毎年美味しいコーヒーが採れるはずです。


●さてミャンマー農民は、ケシかコーヒーか、どっちを選ぶでしょうか?


 あと数年もすれば、その答えが出てくるでしょう……と思っていましたら、またまた国境周辺でゲリラ戦が始まったようです。佐竹翁もやや南方に仕事場を移しました。やれやれ何ということでしょうか。「ケシ畑を薬草畑へ」と頑張ってはみたものの、民族の風習・伝承を変えるって、薬草やコーヒーノキを育てるよりずっと難しい事のようです。


●皆さん、佐竹元吉にエール宜しくお願いします。


(第233話 完)


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