シリーズ『くすりになったコーヒー』


●「銀ブラ」は、古くて新しい流行語!?


 銀座八丁目のカフェ・パウリスタでブラジルコーヒーを飲むことが、何故「銀ブラ」なのかさっぱり解りません。店の宣伝文句と思えば済むのですが、今コーヒー文化学会のなかで結構真面目に論じられています。


●「銀ブラ」の解釈は勝手ですが、新聞やTVが大真面目に「銀ブラの本当の意味」と称してブラジルコーヒー店を強要するのは許せない!


 もっと詳しく知りたい方は、日本コーヒー文化学会(078−302−8880)またはいなほ書房(03−3209−7692)に電話をかけて、雑誌「コーヒー文化研究・第18巻」をお取り寄せ下さい。


 確かにTV番組で、「銀ブラ」と「ブラジルコーヒー」の関係を解説するくだりは、たまに銀座へ行く人にとって目新しい話かも知れません。しかし、コーヒー党にとっては、わざわざ銀座まで行ってコーヒーを飲むとしたら、ブラジルコーヒーも良いですが、「もっと珍しいコーヒーを飲みたいよ」と言うかも知れないのです(多分言いそう)。



 ところで、「銀ブラ」コーヒー説が悪乗りしますと、「日本で最初の喫茶店はカフェ・パウリスタ」というになります(詳しくは → こちら )。ですが、日本コーヒー文化学会の星田氏の解説によりますと、そういうことはありません。


●日本で最初の喫茶店は「可否茶館」である(写真下)。


 明治21年に東京上野に開店した可否茶館は今はもうありません。代わりに跡地に記念碑が建ちました。可否茶館を開いた明治の俊才鄭永慶は、外務省・大蔵省勤めに飽き足らず、独自の理想を抱いて庶民のための「可否茶館」を開きました。しかし、時は熟しておらず、間もなく店仕舞いを余儀なくされて、アメリカ・シアトルに渡り、今は桜の木の下に眠っています。お断りしておきますが、シアトルで創業したスターバックスとは無関係です。



 と言うわけですから、可否茶館はカフェ・パウリスタより20年も早く開業したのです。それはカフェ・パウリスタ創業者が率いたブラジル移民がコーヒー栽培に成功する以前の話でした。「日本にもコーヒーは根づく」と時代を見通した俊才の偉業は、勇み足になってしまったのです。コーヒー好きの方、是非一度は記念碑を訪問して下さい。


 話が広がり過ぎました。最初に戻して「常識的な銀ブラ」とは、タモリさんのような銀座ブラブラ歩きのことなのです(写真上)。ブラジルコーヒーとの関係は、カフェ・パウリスタの宣伝を真に受けた現代モボ族の解釈に過ぎません(詳しくは → こちら )。


●皆さん、銀座には美味しいコーヒーの店が沢山ありますよ。


(第140話 完)


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