シリーズ『くすりになったコーヒー』


「アルカリ性食品で癌が治る」という間違った話から、それに代わる期待の新薬の話です。先ずは間違いの話から。


 アメリカから来た珍説「アルカリ性食品で癌が治る」の嘘はすぐバレて、あっという間になくなりました。ところがとんでもない所で神話みたいに生き残っているのです。「和田屋のごはん」という京料理(?)の野菜中心レシピのことです。これを食べてみたい人は、和田屋が催す日帰りツアーに参加しなければなりません(写真左)。詳しく知りたい人は週刊誌・サンデー毎日(写真右)を見れば、名医も騙される嘘の実体が解ります。この記事を書いたのは実績あるジャーナリストですが、裏を取らずに名医(迷医?)の話を信じたか、共犯かのどちらかでしょう。



「アルカリ性食品」とのお題目にまんまと騙されて記事を書いたジャーナリストはピンからキリまで。彼らに共通していることは、似非科学の主張を鵜呑みにする傾向です。ジャーナリストが騙された似非科学の主張とは、1例を医薬経済社の雑誌「医薬経済」にも見ることができます(抜粋写真を参照)。冒頭の氏とは元京大医学部教授のことで、バイブル本「和田屋のごはん」の著者でもあります。記者はこのバイブル本に騙されてしまったのです。先ずは赤カッコの文章をお読みください。



 ここに書かれている文章に違和感はなく、良く書けています。実は間違いはこの先の「TMEのアルカリ化を図るさまざまな治療」のなかから「アルカリ性食品」を選んだことにあるのです。解りやすく図に描いてみましょう。



●似非情報:癌の周りにできる酸性の環境をアルカリ性食品で中和すれば癌は治る。


 試験管内の実験ならば起こり得る現象ですが、体内で起こるかというと、答えは「絶対に起こらない」のです。人体生理学の入門編を勉強した人ならば、こんな簡単な間違いに気づかない方がおかしいのです。でも現実には生理学を勉強した人はほんの一握りですし、サンデー毎日や医薬経済に記事を書いたジャーナリストでさえ、言われれば解る生理学はそっちのけで「そういうことが起こるんだ」と(恐らくは)感動してしまったのです。


●アルカリ性食品を食べても血液のpH(弱アルカリ性)は微動だにしないから、TMEの酸性が消えるわけはない。


 血液のpHは強力な化学平衡能で維持されているので、アルカリ性食品を食べ過ぎたぐらいで変わることはありません。ですから食品のアルカリ性が癌の周辺に到達することはないのです。これについて日本語のネット検索でまともな説明を見つけるのは困難ですが、英語なら簡単に見つかります。例えば、世界的に有名なテキサス大学MDアンダーソン癌センターのホームページに書かれています。


●アルカリ性食品が癌患者の血液をアルカリ性にすることはない(詳しくは → こちら)。


 米国癌研究協会のホームページには、酸性食品についても書かれています。


●酸性食品が癌を起こし、アルカリ性食品が癌を治すという話は、試験管内で特別に仕組んだ実験だけで見られる現象である(詳しくは → こちら)。


 ということで、和田屋のごはんは京野菜のポリフェノールをたっぷり含んでそこそこ美味しいのですが、食べた人の血液がアルカリ性になって癌が治るというものではないのです。もしこの視点で薬を作ろうとするなら、ちょっとした工夫が必要です。


●TMEの酸性を逆利用して癌を退治する研究がある(詳しくは → こちら)。


 癌細胞が作る水陽陽イオン(プロトンH+)は炭酸脱水酵素9番(CAIX)で細胞の外に排出されています。CAIXは、いわばH+が通り抜ける通路になっているのです。そこでこの通路を遮断すれば、H+は細胞の外に出られなくなって、周辺の酸性化を避けられるはずです。かなり複雑な図ですけれど、TMEの酸性化を説明するには重要と思われるので一応載せておきます。


 図右側の青色グルコースは、癌細胞に取り込まれて代謝されると、赤→に沿って乳酸(乳酸陰イオンと水素陽イオンH+)に変わります。乳酸はMCTタンパク質を通過して細胞外に出ることがありますが、pHへの影響は僅かです。


 次にV-ATPaseは癌細胞の水素排出に寄与しています。創薬ターゲットとしての期待もありますが、まだ実績はありません。最後に、ごく最近になって、TMEの酸性を強める本体は、細胞膜の炭酸脱水酵素CAIXであることが明らかになりました。CAIXは、炭酸ガスCO2と水H2Oの反応を触媒し、細胞外H+濃度を高めて酸性の環境を生み出すのです。その結果、CAIX活性が高い人では、癌増殖と転移が早まるというのです(詳しくは → こちら)。


 逆に、このCAIXを阻害する物質が癌を抑制するとの考えで、CAIX阻害物質の探索が行われました。


●CAIX阻害物質の1つSLC-0111はTMEの酸性を消すことで、マウスに投与した抗癌薬テモゾロミドの作用を増強した(詳しくは → こちら)。



 図2をご覧ください。悪性神経膠腫の患者から取り出した癌組織の切片を、健康なマウスに移植して実験しました。SLC-0111を単独で投与しても癌を抑制することはありませんでした。そこで、抗癌薬テモゾロミドと併用する実験を行ったところ、抗癌作用が大幅に強まることが解ったのです。図のグラフにあるように、併用によって癌の増殖(腫瘍の重量で判定)を抑制し(左)、生存率を2倍強に増強しました(右)。


 次に図の下をご覧ください。SLC-0111がTMEの酸性化を抑制するため、癌細胞は自らが作った酸性の中で生命力(biability)が衰えたのです。そして弱った癌に対して抗癌薬がよく効くようになったのだと考えられるのです。


 最後にコーヒーについて触れておきます。コーヒーは代表的なアルカリ性食品です。しかし、和田屋のごはんと同じ理由で、TMEの酸性を消すことはありません。それでも疫学研究では、前立腺癌、肝臓癌、大腸癌などで、コーヒーを飲む群の抗癌薬治療効果は高まることが報告されています。大衆薬の痛み止めや風邪薬でさえ、カフェインが入っていない成人用はありません。


 コーヒーでは、恐らくカフェインの抗炎症作用とポリフェノールの抗酸化作用が、コーヒーと抗癌薬との併用効果を生み出しているのだと考えられます。単独投与では副作用の強い抗癌薬を少しでも安全に使うために、コーヒーを含めて食事レシピを工夫するより一層の努力が求められると思います。


(第366話 完)


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