シリーズ『くすりになったコーヒー』


 去年のことなので余りタイムリーではないのですが、コーヒー業界にとっては気になるブログ記事です。


●「濃いコーヒーは実は胃に良い」
(詳しくは → こちら


 内容は、ドイツ・アメリカ・オーストリア3国の共同研究の紹介です。気になることとは、紹介の紹介で原典をよく調べなかったためらしい誤訳です(出展は → こちら


 共同研究の目的は、欧米人でコーヒーを飲まない人のなかに、飲むと「胃がもたれて胸が焼ける」という人が多いので、その原因を究明することだそうです。実はこの問題は日本でもしばしば耳にします。特に、苦いだけの不味いコーヒーを飲むと胃がムカついて、胸が焼けるというのです。


●美味しいコーヒーを飲めばそんなことは起こらない。


 と言ってしまえばそれまでですが、安くて苦いだけのコーヒーがある以上、不具合の理由を知りたい人の気持ちもわかります。言っておきますが、「飲んで美味しいと感じたコーヒーで胃が痛む」ことはありません。


 ブログ・ライフハッカーの誤訳は次のような意味の文章にあります。


●濃い(深煎りという意味)コーヒーのN-メチルピリジニウムが胃酸の分泌を抑えるので胃に良い。


 これは明らかに間違いで、原典にはこんなこと書いてありません。第一、実験で使われたのはN-メチルピリジニウム(N-MPと略す)ではありません。それを含んだ抽出液のことで、少なくとも6種類の成分が含まれていました。しかもそれを人が飲んだのではなくて、試験管のなかで胃の細胞に飲ませたのです。ですから本当のところ何もわかっていないのです。胃酸を抑えたのはN-MPとは限りませんし、確率的には違っています。


 ライフハッカーのブログには、編集委員の名前もちゃんと公表されています。翻訳者の名前も出展の原文もちゃんと引用されています。ですから間違いに気づかずに記事を載せてしまったのでしょう。


 出展は論文ではなくニュースタイプの英文ブログです。それでも実験に使った材料のことはかなり詳しく書かれているので、きちんと紹介すればよかったのです。その意味では編集委員の皆さんに今後の改善をお願いしたいものです。さらに言えば、サイエンス記事は学会の口頭発表ではなくて、論文発表を待ってから書くべきです(原著論文は → こちら


 ライフハッカーの記事には、もう1つこんな意味のことも書かれています。当該研究者の発言として、


●「コーヒーが胃酸を増やすという研究結果や人体データは、これまでに確認されていない」


 これも誤解を招きます。実際にそういうデータはたくさんありますし、幾つも論文が書かれています。コーヒーを飲むと大抵の人が胃酸を分泌することは間違いない事実です。研究者の発言はそうではなくて、


●コーヒーを飲むと胃酸が出る、その作用成分とメカニズムを解明したデータはない。


 ちゃんとそういう風に書かれています。


 たった1つのブログ記事で、コーヒー屋さんのなかには、嘘に気づく人、困惑する人、喜ぶ人、それ見たことかと宣伝する人、などなど色々でしょう。特に最近はコーヒー値上げのニュースが注目されているので、「濃いコーヒーが胃に良い」などというよくわからない話はちょっとしたお騒がせでした。


【サイエンス記事を書く方へ】自分も含めて、記事を書くときは必ず原著論文に当たりましょう。


【サイエンス記事を読む方へ】原著論文のない記事には「百害あって一利なし」。


(第89話 完)


栄養成分研究家 岡希太郎による
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