シリーズ『くすりになったコーヒー』


 潜在的ビタミンB3(VB3)欠乏を懸念する声があります(例えば → こちら)。日本では、妊婦、高齢者、アルコール多飲者、原因不明のうつ、同じく下痢などで欠乏リスクが高まるそうです(例えば → こちら)。

 VB3には2種類あります。第1は、古くて新しいニコチン酸(NA)で、この薬を正しく理解するには、2つの薬理作用(ビタミン作用と受容体作用)を明確に区別する必要があります(表1)。一流医学誌に掲載されている論文でも、よく読むと混同している例が少なくありません。もう1つはニコチナミド(NAM)で、受容体とは無関係です(化学構造は図1)。




 ビタミンとしてのNA研究は、発見直後の前世紀半ばが第一次ブームでした。NAの他に、VB1のチアミンと鉄を加えた3つの栄養素が、第二次世界大戦後のヨーロッパと日本で、厳しかった食糧不足から人々を救いました。いわば命の恩人だったのです。VB2リボフラビンは化学合成が難しかったため「黄色の色づけ」に少しだけ使われたそうです(詳しくは → こちら )。


 強化米と小麦粉に使われた3つの栄養素のうち、最も寄与が大きかったのはNAだったと思います。理由は「ミトコンドリアのエネルギー産生に欠かせないNADの前駆体」だからです。NAを食べてNADを増やすという社会方策は、当時の最先端医学の極めて迅速な実用化でした。しかし、その後の医薬品の進化と豊かになった食生活に起因して、ビタミンは「医薬品から食品に格下げ(?)」されました。そしてビタミンB研究は地味な分野となって廃れたのです。代わって研究者を引きつけたのは、百寿時代を元気に生き抜く医学・薬学であり、創薬目標は老化関連疾患を予防して元気な長寿をもたらす薬になりました。


 しかし皮肉なことに、2006年に世間を騒がせた「赤ワインと長寿遺伝子」に刺激されて、Sirt1遺伝子を活性化する物質が広く探索されました。しかし、結局のところNADの活性が最も強いことが解ったのです(詳しくは → こちら )。


 年を取ってNADが減ったからといって、いくらNADを多く食べても自分のNADを増やすことはできません。NADは食べても吸収されませんし、注射しても細胞の中には入りません。ではどうすれば増やすことができるでしょうか?それができれば、長寿遺伝子Sirt1を活性化して、老化関連疾患のリスクを下げることができるのです。


●NAD生合成経路とNADを増やす新薬候補およびコーヒーの位置づけ(図1を参照)


 ビタミンとは「体内では合成できず、食事から摂る他なく、不足すると病気になる」という栄養素のこと。VB3は例外で、アミノ酸のトリプトファンから僅かながら作られていますし(生化学教科書を参照)、食物繊維を原料に腸内菌も作っています(詳しくは → こちら )。トリプトファンから出発して、ニコチン酸モノヌクレオチド(NAMN)を経て、NADに至る経路を「デ・ノボ経路」と呼んでいます(図1の青)。NAを含むコーヒーを飲むと、肝臓でNAMNに変換され、それがデ・ノボ経路に合流してNADになるのです(詳しくは → こちら )。また、コーヒーアロマ由来のピラジン酸は、デ・ノボ経路の脇道を遮断して、本流の活性化に寄与しています(詳しくは → こちら )。



 NAが体内でNADになることは70年も前に分かっていたことですが、最近になってヒトなら60歳に相当する高齢マウスでも、ヒトがコーヒー1杯を飲んだときと同じ程度のNAでNADの増加が実現します。図2は、去る10月のNHK番組「美と若さの新常識」で、富山大の中川教授が実験して見せたデータです。加齢によって減少しているNADが、少量のNA投与で見事に回復するのです(詳しくは → こちら)。


 ならばNADを増やす第一候補はVB3のNAかNAMでよいはずです。しかしこれらがNADになることは昔から知られている公知の事実なので、「不老長寿の新薬」として新たな特許を得ることはできません。つまり経済効果の伴わない薬を開発する製薬会社はないのです。そこでワシントン大学の今井眞一郎教授は、リサイクル回路の活性化を目指して研究しています。今井教授は試行錯誤の結果、NAMやNRではなく、NMNに焦点を絞っているようです。その理由は、飲んだNAMはヒトのサルベージ経路に合流しにくいこと、誘導体化したNRは合流しても効率が低過ぎるため、スイスのネスレ研究所では更なる新規化合物が試されているようです(詳しくは → こちら )。



●NAD前駆体で経済効果が得られるのは、リサイクル回路(図1では赤のサルベージ経路)のNMNである(詳しくは → こちら )。


 今井教授によると、NMNのようなヌクレオチド分子は細胞の中に入りにくいので、飲んでも役に立ちません。そこで体内で効率よくNMNをNADに変えるために、変換酵素を探したところ、脂肪組織でできるeNMNPTという酵素が見つかりました。脂肪組織の酵素が、遠く離れた部位のNAD合成に係わっているとは驚きです。


 では次に、「飲めばNADになると解っているNAが候補物質にならない理由」とは一体全体何なのでしょうか?実に不思議なことですが、答えは表1に書いた受容体作用にありました。


 

●NAの受容体GPR109A作用:1回に数百ミリグラム、1日1グラム以上という大量のNAを飲むと直後に血中遊離脂肪酸が低下して、毎日飲んでいると善玉コレステロール値が高くなるが、しばらくは耐え難いフラッシュに悩まされる・・・(詳しくは → こちら )。


 この高投与量はビタミン作用としての必要量1日15~20ミリグラムを遥かに超えています。しかも不運なことに前世紀の臨床試験で、血中遊離脂肪酸濃度のリバウンド現象(図3左:一旦は下がった血中濃度が逆転する現象)と、それに伴うフラッシュ(同右:顔面紅潮)が観察されました。この副作用発症率は90%と高く、かつ痛みを伴うために、途中脱落する被験者が続出しました。従って、現在進行中の「NADを増やす臨床試験」でも、「NAは副作用のため候補に選べない」とされているのです。しかし、少なくともマウスの実験(図1)では、NAD増加が見られたNA投与量はビタミン作用量の範囲内なので、副作用の心配はないはずです。


●NAの受容体作用のまとめ。


 ニコチン酸が結合する受容体はGRP109Aで、今世紀になって脂肪細胞の表面に見つかりました。脂肪細胞には大量の中性脂肪が蓄えられています。ヒトが運動したり頭を使うとき、大なり小なりストレスホルモン(アドレナリンとコルチゾール)が働いて、中性脂肪の分解が起こり、遊離脂肪酸が血中に流れ出し、筋肉や臓器のエネルギー需要に応えます(図4の右半分を参照)。しかし、仕事の悩みなど慢性ストレスを受けている人では、このメカニズムが裏目に出て高脂血症になることがあるのです。つまりストレスが生活習慣病の原因になるメカニズムでもあるのです。



 一方ニコチン酸(NA)がGPR109Aに結合すると、ハンマー印に沿って中性脂肪の分解にストップが掛かります。そして血中に放出される遊離脂肪酸の量が大幅に減って(↓)、高脂血症状態は改善されます。受容体が発見されるよりずっと前から、NAの脂質代謝改善作用が注目されて、各国で臨床試験が実施されました。しかし、投与後数時間で薬効とは逆向きの高脂血症状態になるリバウンド現象とフラッシュが見られたのです(図3)。そのためNAの大量投与は敬遠され、丁度同じ頃に登場してきたスタチン系コレステロール低下薬が大成功を収め、NAの開発は終わったのです。


 それでもGPR109Aは純粋な薬理学研究者の手で更なる解明が進み、脂肪細胞以外からも見つかって、NAの多彩な薬理学が解明されてきたのです。図4の左側を見て下さい。これは皮膚のランゲルハンス細胞で、表面に受容体をもっています。そこにNAが結合すると主にプロスタグランジンD2(PGD2)とPGE2が作られます(図5も参照)。


 ランゲルハンス細胞から放出されたPGD2は皮下の血管壁の受容体DP1に結合します。すると、情報伝達分子が働いて最終的に血管平滑筋の緊張がほぐれ血管が拡張します。そこに大量の血液が流れ込んで皮膚が紅潮するのです。この現象を「ナイアシンフラッシュ」とも呼んでいます。


 一方PGE2はマスト細胞の受容体EP3に結合します。すると細胞内に蓄えられていたアレルギー物質ヒスタミンが分泌され、それが血管壁の透過性を高めて血液が滲み、フラッシュが益々色づいてくるのです(詳しくは → こちら)。



 最後に、急な顔面紅潮があると、ヒトはそれをストレスと感じてストレスホルモンを分泌します。そして図4右半分のメカニズムが働いて、大量の遊離脂肪酸が血中に溢れ出てきます。これが図3左のリバウンド現象のメカニズムと考えられます。今このメカニズムを上手にコントロールして、色々な病気の治療に応用しようとの研究が進んでいます。


 百寿時代を迎えてNAが再び脚光を浴びる日が近いかも知れません。


【追加】


 NAの受容体作用は脂質代謝改善の他にもあって新たな研究論文が続々と発表されています。


●例えば、PGD2がノンレム睡眠を誘発して睡眠を改善するとの論文があります(詳しくは → こちら )。


●GPR109Aに強く結合するのはNAですが、他にもアゴニストが色々ある。


 最も注目されているアゴニスト(=作動薬)はβ-ヒドロキシ酪酸で、これは腸内菌(主にビフィズス菌)が産生する短鎖脂肪酸の1つ。大腸の炎症を抑制し、大腸癌を予防する効果が見つかっています(詳しくは → こちら )。


 乾癬治療薬のモノメチルフマレートもアゴニストの1つです(詳しくは → こちら)。


 最近、ヨーグルト、ケトン食、食物繊維などが腸内菌を改善して生活習慣病や老化を防ぐとのTV健康番組が増えています。近いうちに受容体やコーヒーの話も登場するのではないでしょうか・・・と期待しています。

(第395話 完)


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