シリーズ『くすりになったコーヒー』



 風邪のような熱が下がらない、だるい、咳が出る、1週間も待ってようやく受けたPCR検査は陽性だったが、病院が決まらずに自宅待機となり、そして取り返しがつかない結末を迎える・・・。Nature誌の1月号に、感染初期症状の嗅覚味覚障害に注目して、異常を感じた人の申し出に速やかに応じる医療体制の実現を提案しています。別途に「コーヒーの香りが消えたら感染を疑う」との論文が3つも出ています(原著省略)。


Nature NEWS EXPLAINER doi: https://doi.org/10.1038/d41586-021-00055-6)           

14 JANUARY 2021


COVID患者の匂いと味の障害:研究者が知ってること知らないこと

研究者はコロナウイルスの感覚障害がどれほど長引くかどう治療すべきかを研究している。

ミカエル マーシャル (著)  岡 希太郎 (訳)



SARS-CoV-2: 武漢で見つかった新型コロナウイルスの名称; COVID-19:SARS-CoV-2感染症および感染患者のこと

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 SARS-CoV-2ウイルスのパンデミックが始まったころ、ウイルスに感染した多くの人々が、他に何の症状も出ないうちに嗅覚だけを失っていたことが明らかになりました。その他に科学者たちが気づいていたのは、感染した人々が味覚を失い、かつ味覚とは異なる化学的な感覚(ケメシスと呼ぶ)、例えば辛さの感覚を失うことでした。


 ほぼ1年が経った今でも、まだこれらの感覚を回復していない人がいます。回復した人の中にも、匂いの感覚が歪んだままの人が居るのです。心地よいはずの香りが不快な香りに感じられてしまいます。そこでNature誌は、感染後の長期に渡って持続して、患者を疲弊させる現象の背後にあるメカニズムを調べたのです。


患者が匂いの感覚を失う確率は?


 正確な数字は解りませんが、嗅覚障害はごく一般的に見られます。


 昨年6月に発表されたレビュー(文献1)では、8,438人のCOVID-19患者データをまとめ、41%が嗅覚喪失を経験したとのことでした。8月に発表された別の研究(文献2)では、イランのテヘランにある基礎科学研究所の研究者シマ・T・モエインが率いるチームが、COVID-19の100人に匂い識別テストを実施しました。複数の選択肢に基づく匂いの識別検査で、参加者の96%に何らかの嗅覚機能障害があり、18%に完全な嗅覚喪失(無嗅覚症)がありました。


 さらにモエインによると、「ほとんどの患者は突然臭いがなくなったと言っている」ということは、この症状がCOVID-19に関連している証拠になるのです。そして多くの場合、嗅覚の異変は人々が「自分はCOVID-19に罹ったのでは」と気づいて申し出る症状なので、ウイルス誘発性の鼻づまりとは別の感覚に思えるのです。


 一部の研究者は、嗅覚喪失はCOVID-19の診断テストとして使用されるべきであると述べています。昨年10月に発表された研究(文献3)によると、嗅覚や味覚異常の自己申告数は、政府が推奨していた病院や救命救急の受診者数などよりずっと確かな感染拡大マーカーになっていたのです。


COVID-19の患者はどうして嗅覚を失うのか?


 メカニズムの全体は解っていませんが、ウイルスが嗅覚神経をサポートしている鼻細胞に感染すると嗅覚喪失が起こるというコンセンサスが生まれています。


 研究者が匂いの喪失をCOVID-19の症状として初めて観察したころ、彼らはウイルスが脳の嗅球に信号を送る鼻の嗅覚ニューロンに感染していること、従ってウイルスが脳にアクセスできることを心配していました。しかし、COVID-19患者の剖検によれば、ウイルスが脳に到達することは滅多にないことが示されました(文献4)。


 マサチューセッツ州ボストンにあるハーバード大学医学部の神経生物学者、サンディープ・ロバート・ダッタが率いるチームは、ウイルスに感染する細胞は嗅覚ニューロンではなく、それをサポートしている細胞(支持細胞)であることを発見しました(文献5)。


SARS-CoV-2はどのようにして脳を損傷するのか


 ダッタと彼の同僚は、SARS-CoV-2が支持細胞の表面に沢山あるACE2と呼ばれる受容体を標的にして感染するので、この支持細胞の研究に焦点を合わせました。嗅覚ニューロンにACE2はありません。このことは、コロナウイルスが嗅覚ニューロンではなく、支持細胞に感染することで、嗅覚ニューロンへの栄養補給を遮断して脆弱化させることを意味しています。


 しかし、COVID-19が嗅覚を失う別の経路があるかもしれません。例えば、イタリアの研究チームは、インターロイキン-6と呼ばれる炎症シグナル伝達分子の血中濃度が上昇すると、嗅覚と味覚の喪失が同時に起こることを示しました(文献6)。また、昨年12月に発表された死後の研究では、COVID-19に感染した人の嗅球に、炎症による明らかな血管損傷が認められているのです(文献7)。


 科学者たちは健康な嗅覚が機能するメカニズムを理解していますが、コロナウイルスが味と化学物質に反応する感覚異常がどんな影響を受けるのか、ほとんど理解していません。「私が知っている限り、まだ誰もうまく理解していません」と、ペンシルバニア州立大学ユニバーシティパーク校の食品科学教授で、COVID-19の化学感覚への影響を研究しているジョン・ヘイズは語っています。味覚と化学感覚は匂いとは異なる感覚ですが、ヒトはこれら3つを組み合わせて、食べ物や飲み物の「味」を感じているのです。味覚は主に舌の味覚受容体に依存しますが、化学物質に対するその他の感覚は、感覚神経のイオンチャネルに依存しています――が、COVID-19患者の反応についてはほとんど研究が進んでいないのです。


 

失われた感覚はどの位で戻ってくるのか?

 

 ほとんどの人にとって、嗅覚、味覚、化学感覚は数週間以内に回復します。昨年7月に発表された研究(文献8)では、嗅覚機能障害のあるCOVID-19患者の72%が1ヶ月で回復し、同じく味覚機能障害の患者の84%も同様であったと報告しています。ロンドンのガイズ・エンド・聖トーマス病院の耳鼻咽喉科コンサルタントであるクレア・ホプキンスと彼女の同僚は共に、迅速な感覚の回復を観察していました(文献9)。彼らは202人の患者を1ヶ月間追跡し、その間に49%の患者が完全に寛解し、他の41%では症状の改善が見られました。

 

 しかし、そうでない10%の人にとっては、症状はもっと深刻です。感覚がすぐに戻らない人の中には、長期にわたって非常にゆっくりと良くなって・・・よい結果になる可能性も残っています、とホプキンスは話しています。患者が匂いの感覚を取り戻すと、匂いはしばしば不快であり、記憶している匂いとは異なるものになっているのです。これは刺激性異臭症と呼ばれる現象です。ホプキンスによれば、こういう人たちにとって「すべてのものが悪臭を放っていて」、その影響は数ヶ月続くことがあるのです。彼女はまた、この現象は嗅覚ニューロンが回復するにつれて再配線しているためかもしれないと話しています。

 

 また、他の患者は何ヶ月も完全に無嗅覚症のままであり、その理由は明らかではありません。ホプキンスによれば、こういった症例では、コロナウイルス感染が嗅覚ニューロンを殺した可能性があるとのことです。

 

化学感覚を永久に失うと人はどうなるのか?

  

 この状態は、視覚や聴覚など他の感覚の喪失ほどには研究されていませんが、研究者たちは、結果が深刻になる可能性があることを知っています。

  

 一つ例を挙げれば、味覚嗅覚の損傷は食中毒や火事などの危険に対して無防備になることです。例えば、無嗅覚症の人は、腐敗した食べ物や火事の煙を感知することができません。2014年の調査によると、無嗅覚症の人は、臭いを失っていない人の2倍以上、腐った食べ物を食べるなどの危険な出来事を経験することになるのです(文献10)。

  

 その他の影響を測り知ることは困難です。「ほとんどの人は、匂いを失うまで、人生における匂いの重要性を認識していません」とモエインは言います。食べ物の味が解らなくなることは明らかに大きな損失ですが、他の感覚も同じように重要です。ヘイズが語ってくれた1つの例は、「生まれたばかりの赤ちゃんの匂い」を嗅いで子供と繋がることができなかった親が感じる損失を指摘しています。そしてモエインは、生物学的メカニズムは不明であっても、嗅覚障害はうつ病と関係していると述べています。


 


失われた感覚を取り戻す方法はありますか?

  

 研究が不足しているということは、確立された治療法がほとんどないことを意味します。しかし、1つの選択肢は、匂いのトレーニングで、処方された匂いを定期的に嗅いで再学習するのです。ホプキンスは、英国のアンドーバーにあるアブセント(AbScent)という慈善団体と協力して、このトレーニング法を一般に公開しています。パンデミック以前から、こういう障害をもつ人の嗅覚機能を改善できるという証拠がありますが、すべての人に効果があるとは限りません(文献11)。

  

 ホプキンスの話では、利用可能な薬は限られています。しかし、ホプキンスのチームが実施した予備試験によると、SARS-CoV-2感染の初期段階の人々にとって、嗅覚喪失が主に鼻細胞の炎症に起因しているので、ステロイドが役立つ可能性があるのです(文献12)。

  

 長期的な研究では、リッチモンドのバージニアコモンウェルス大学のリチャード・コスタンツォとダニエル・コエリョが嗅覚インプラントを開発しています。これは、鼻に埋め込むデバイスで、匂いの化学物質を感知して脳に電気信号を送る装置です。しかし、コエリョによれば、このデバイスがクリニックに提供されて「もう何年にもなる」のですが、研究者たちは未だインプラントが脳のどの領域を刺激するのかさえ解っていません。「まだ解決すべき科学が残っています」とコエリョは付け加えてくれました。

  


  

文献

   

 1.Agyeman, A. A.Chin, K. L., Landersdorfer, C. B., Liew, D. & Ofori-Asenso, R. Mayo Clin. Proc. 95, 1621–1631 (2020).

   

 2.Moein, S. T., Hashemian, S. M., Tabarsi, P. & Doty, R. L. Int. Forum Allergy Rhinol. https://doi.org/10.1002/alr.22680 (2020).

   

 3.Pierron, D. et al. Nature Commun. 11, 5152 (2020).

   

 4.Meinhardt, J. et al. Nature Neurosci. https://doi.org/10.1038/s41593-020-00758-5 (2020).

    

 5.Brann, D. H. et al. Sci. Adv. 6, eabc5801 (2020).

   

 6.Cazzolla, A. P. et al. ACS Chem. Neurosci. 11, 2774−2781 (2020).

   

 7.Lee, M. H. et al. N. Engl. J. Med. https://doi.org/10.1056/NEJMc2033369 (2020).

   

 8.Reiter, E. R., Coelho, D. H., Kons, Z. A. & Costanzo, R. M. Am. J. Otolaryngol. https://doi.org/10.1016/j.amjoto.2020.102639 (2020).

   

 9.Boscolo-Rizzo, P. et al. JAMA Otolaryngol. Head Neck Surg. 146, 729–732 (2020).

   

 10.Pence, T. S. et al. JAMA Otolaryngol. Head Neck Surg. 140, 951–955 (2014).

   

 11.Boesveldt, S. et al. Chem. Senses 42, 513–523 (2017).

   

 12.Vaira, L. A. et al. Rhinology https://doi.org/10.4193/rhin20.515 (2020).

 



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