シリーズ『くすりになったコーヒー』
しっとりウルウル肌の秘訣は「セラミド」・・・などとPRする化粧水は、健康な表皮角質層にあるスフィンゴ脂質を配合しています。セラミドはスフィンゴ脂質の一分野で、その保水力が皮膚に潤いを与え、乾燥にも日焼けにも負けない効果があるというのです。実際に若い人の角質層にはセラミドが豊富です(詳しくは → こちら )。
皮膚のセラミドは、全身の何処にでもあるセラミドとは違っています。皮膚を除く全身の組織と血液に分布しているセラミドには、脂質二重膜を作る以外に、情報伝達物質としての役割があります。その詳細は研究が始まったばかりなのに、早くもコーヒーとの関係が論文になりました。まず筆者が驚いたのは2019年のことで、その論文要旨をFacebookに投稿したことを覚えています。僅か数年の間に、セラミドはコレステロールを上回るインパクトを製薬アカデミアに及ぼす気配を見せています。
●コーヒーはセラミド加水分解酵素を活性化する。
この論文は欧州栄養学雑誌(Eur J Nutr)の電子版(プリント版は2020年)に掲載されたもので、内容は「コーヒーを飲んだ後に起こる血液中のタンパク質の変化」を調べたもので、一般にプロテオミクスと呼ばれる研究手法のコーヒー版です。全部で41のタンパク質が変化した中に、セラミド加水分解酵素ASAH2が見つかりました。コーヒーを3ヶ月間飲んだ被験者の血液中で、有意差のある濃度上昇が見られたのです(詳しくは → こちら)。図1をご覧ください。
図1の下段に書いたASAH2は、セラミドを2つの構成成分、スフィンゴイド塩基と脂肪酸に加水分解する酵素です。コーヒーを飲んでいる人の血液中にこの酵素が増えることで、インスリン耐性が起こらず、2型糖尿病や心血管疾患のリスクが下がるという論文です。血中セラミドは食事の影響を強く受けることが解っていましたが、セラミドなど含んでいないコーヒーで起こるとは、論文著者ですらビックリしたことでしょう。
●セラミドを作る合成酵素を阻害してもインスリン抵抗性が改善する。
セラミドを分解する加水分解酵素の活性化とは逆に、セラミド合成酵素も注目されていました。世界的に有名な科学誌サイエンスに、ASAH2とは異なるセラミド代謝酵素DES1の話が掲載されたのです。「過剰な体セラミドは心代謝性疾患のリスク要因」という従来の知見に注目して、実験マウスの遺伝子操作でセラミド合成酵素DES1を持たないモデル動物を作ったのです。するとこのマウスには、高脂肪食を食べてもインスリン抵抗性を起こさない性質が確認されました(図1の中段を参照;詳しくは → こちら)。この論文の中で著者らは、DES1酵素阻害薬が有用であろうと書いています(後述:COVID-19の感染予防も注目されている)。
●疫学研究データと血中セラミドの関係について
次に紹介する論文はつい最近のもので、疫学研究で健康に良くないと言われる赤身肉と、逆に生活習慣病を幅広く予防するコーヒーを使い分けて、それぞれの被験者の血中セラミドを解析したもので、これも有名なネイチャー姉妹誌に発表されました(詳しくは → こちら )。結果を図2にまとめます。
図のAとBは赤肉を食べた場合、CとDはコーヒーを飲んだ場合です。Cerはセラミド、dhCerはジヒドロセラミド、↑は増える、↓は減る。赤肉の場合、セラミドの動きは複雑で、関与分子の同定はできませんが、全体として考察すると、Bの疫学データと同じく、セラミド代謝がインスリン抵抗性と2型糖尿病リスクを62%も高めているとの判断です。
一方、コーヒーの場合は、有意な変化はdhCer22:2の低下だけでしたが、2型糖尿病のリスク低下は43%と推定されました。この傾向も疫学データと近似しています。ただしこの論文では、関与するセラミド代謝酵素と、その酵素に働くコーヒー成分についてのデータはありません。
●コーヒーと心房細動と血中セラミドの関係
3つ目の論文は、心不全患者の心房細動がコーヒーで予防できるという疫学データの再現と、1日3杯以上のコーヒーを飲む群で、セラミドCer(d18:1/24:0)の血中濃度が高まっているという論文です(詳しくは → こちら )。図3をご覧ください。
自覚症状のある心不全患者1227人を対象に、コーヒーの1日杯数を3段階に分けて、心房細動の自己申告を集計しました。追跡期間は5年以上で、≧3杯の群のほとんどの人が細動を起こさずに経過しました。心房細動の発症率を、飲まない群と比較すると、21%まで抑えられていたのです。血中セラミドの解析では、≧3杯群で有意に高いCer(d18:1/24:0)濃度が観察されました。図4はこの関係をイラストに描いたものです。
以上、心代謝系疾患でのセラミドとコーヒーの関係について、論文4編を紹介しました。それぞれの論文に書かれている「コーヒーで変化したセラミドの構造と変化量」は複雑に異なっています。セラミド、正確に言えばスフィンゴ脂質の分子種は多様で、しかも全てが解っている訳ではありません。にも拘らずこれら論文のインパクトは絶大なので、今後セラミドと生活習慣病の研究が急速に進むと予想できます。そしてもしかすると、コレステロール低下薬や糖尿病治療薬に替わる「セラミド代謝改善薬」が出現するかも知れません。
●セラミド研究で、コーヒーに勝る新薬を期待しています。
最後に1つ追加しますと、スフィンゴ脂質の1種であるスフィンゴミエリンの代謝阻害薬がCOVID-19の感染予防と重症化の予防にも役立つとの論文があります(詳しくは → こちら )。日本では東大を中心とするグループが、図1に書いてあるDES1酵素(ジヒドロセラミドデサチュラーゼ)阻害薬が、同じくCOVID-19の感染予防と重症化予防に良いとのプレスリリースを行いました(詳しくは → こちら )。もしこの予測が当たって、強力な新薬が完成するまでは、コーヒーを飲んでコロナ禍を凌ぐことが現実的だと思います。
(第466話 完)