ビタミンB3を食べると補酵素NADができて、それがエネルギーを作ります。NADはヒトが生きるために必須の小分子です。それほど大切なものなので、癌細胞にとっても必須です。体内のNADを枯渇させれば癌細胞は死んでしまいます。しかしそれでは健康な細胞も死んでしまいます。健康な細胞と癌細胞がNADを取り合って、勝った方が生き残るのです。


●癌細胞だけにNAD枯渇を導くことは難しいが、科学者の挑戦は続いている。

 図1は2022年発表の論文に書いてあるNAMPT阻害薬(図3を参照)の一覧です(詳しくは → こちら)。これらのなかに、臨床試験を終了した化合物はまだありません。むしろ難航しているので、更なる新規化合物の合成が進んでいます。



 次に図2は、NAMPT阻害薬とその他のNAD枯渇薬の歴史です(詳しくは → こちら)。右下の3つの候補薬が、被験者募集中の段階とのことですが、いずれも難航している様子です。



●NAMPT阻害薬の臨床試験が難航する理由

 前臨床試験で良い成績を収めたNAMPT阻害薬でも、ヒトが対象の臨床試験になると薬効の再現が難しいようです。それどころか、正常細胞でもNADが不足して副作用リスクが生じます。どうしてそうなるかと言えば、正常細胞のNAMPTも阻害薬で失効するからです(図3を参照)。



 ところが正常細胞の場合には、NAMPT阻害薬でNADサルベージ経路が止まっても、十分量のニコチン酸がありさえすれば(食事とコーヒーだけでは不足するが)、そのニコチン酸からデ・ノボ経路に合流するプレイスハンドラー経路が働いて、NAD不足のリスクが下がります。一方、デ・ノボ経路の本流は食事で摂るトリプトファンからスタートですが、この経路のNAD収率は60分の1程度なので、どうしてもニコチン酸が必要になるのです。


●癌の種類によってはプレイスハンドラー経路が働くものと働かないものがある(詳しくは → こちら)。

 ニコチン酸NAを代謝する酵素NAPRTを豊富に持っていて、優先的にNAを使っている正常細胞の場合、癌化した細胞はNAPRT遺伝子を更に増幅して大量のNADを作り始めます。このような癌にNAMPT阻害薬を使っても、癌細胞が死ぬことはありません。ではNAPRT阻害薬を使えば良いとも思えますが、研究例は僅かです。

 一方NAPRTが少なくて、替りにNAMPTを優先的に使っている正常細胞が癌化した場合、癌細胞はNAMPT遺伝子を増幅します。そしてNAMPT阻害薬が投与された場合には、新たにNRK遺伝子を増幅して、ニコチナミドリボシドNRからNADを合成し始めるとのことです(図3の最下段を参照)。実に厄介な話なのです。

 このように癌細胞だけにNAD枯渇を誘導することは難しいことなのですが、癌の種類によっては可能性があるかも知れません。NAMPT阻害下の正常細胞であっても、NAを活用できる場合があるというのです。小細胞肺癌と神経膠芽腫の70%以上でNAPRT不足があって、そのため癌細胞がNAMPTを使っている場合です。このような癌に「NAMPT阻害薬+NA」による治療が可能との論文です(詳しくは → こちら)。


●癌のNAD枯渇療法の行方はまだ解らない。

 とは言え、以上の難しい話を簡潔にまとめると、「ヒトにとって必要なものは癌にとっても必要なので、その必要なものを無くして癌を治療するときは、ヒトへの影響を無くすような名案が見つからなければ成立しない」ということです。



 もっと簡単に言えば「二律背反」かも知れないので、今のところは「治療より予防」を考えた方が現実的と言えそうです。そこで、「毎日飲むコーヒーがNADの元となって、癌を予防する自然免疫力を高めておく」、これが最も簡単で効果的な最善法だと思います。

(第487話 完)