ヒトは加齢に伴って臓器機能が衰えてしまう。筋肉に力が入らず、ちょっと動けば心臓がドキドキし、呼吸が乱れる。骨格筋や心筋の筋肉量が減って息切れの原因になる。年を取ると誰でも気づくことが山ほどある。しかしもう1つ大事なことは、限られた量の筋肉がしっかり働くためのエネルギーが不足しているということです。
●年を取るとエネルギーが不足するのは、エネルギーを作る補酵素NADが減るからである。
NADを増やす第一の方法はビタミンB3(VB3)の補給です。ニコチン酸(NA)とニコチナミド(NAM)があって、どちらも体内でNADに変わります。NAは植物性でNAMは動物性で、最も多く含んでいる食べ物は豚肉です。若い人は豚肉を食べることで、ほぼ間違いなくNAD不足にはなりません。豚肉を食べていてもNAD不足になるのは高齢者です。その原因とメカニズムが今世紀になって次々に解ってきました。
●高齢者のNAD生合成は、デ・ノボ経路よりもサルベージ回路(リサイクル回路)が優先している(図1を参照)。
サルベージ回路を活用すれば、トリプトファンから長い経路を辿るデ・ノボ経路を使うよりも、少ないエネルギー消費でNADを再利用できるという利点があるのです。しかし、この回路の正常な回転には、Ⓐ~Ⓒの代謝酵素が必要で、中でもⒷのニコチナミドホスホリボシルトランスフェラーゼ(NAMPT)は最も重要な律速酵素の役目を担っています。
●NAMPTの酵素活性は加齢とともに低下する(詳しくは → こちら)。
図1のサルベージ回路がスムーズに回転するには、Ⓐ、Ⓑ、Ⓒ各段階の代謝酵素が十分活性でなければなりません。特にⒷが重要で、この回路の回転速度を決める律速酵素です。そのNAMPTの酵素活性が加齢に伴って低下してしまうのですから、実に困ったことなのです。
そこでNAMPTの酵素活性を高める簡単な生活習慣があれば良いのですが、今の所実用化されたものはありません。更に悪いことに、NAMTの活性が低下して、そのためにNAMが蓄積すると、これをメチル化する酵素Ⓓが働いて尿中排泄へ導くのです。これをNAMドレインと呼んでいます。こうなるとサルベージ回路は事実上の破綻です。
●それでも回路を動かすために、NAD近傍のすべての代謝系を総動員するのはどうか!
世界的に著名なスイス工科大学の教授コリン・エバルトは、NAMPT活性低下とNAMドレインという二重の障害があっても、それでもNADを増やすか、または増えないでも減らないという苦肉の策を考えました(詳しくは → こちら)。図2は、この論文の図に筆者が追加して、具体的に代謝物の構造を書き込んだものです。メチル基の動きを赤い矢印で示してあります。左端の枠内にあるべタインのメチル基が、最後に右枠のNAMにバトンされて、NAMドレインが活性化されるという図になっています。えNAMを捨ててしまうのですか!その発想は逆ではないのですか?
●普通に考えると「NAMが排泄されるとNADリサイクルの収支が合わなくなる」のだが、エバルト教授は逆に考えた。
【図2の説明】右端のNAD前駆体については、図1も参照して下さい。次に右から2つ目の青枠も図1と重なる内容で、律速酵素NAMPTとNAMドレインを書いてあります。3つ目のピンクの枠には、NAMのメチル化の役目を担うメチル基供与体のSAMと、その再利用回路が書いてあります。SAMのメチル基が酵素Ⓓの働きでNAMに届けられると、NAMはMNAMになって尿中に排泄されてしまいます。そうなってしまうと、サルベージ回路は回転しなくなって、NAD欠乏状態に陥ります。最後に左端の枠はピンクの枠を動かすための出発点で、複数の補助因子が関与する複雑なメカニズムです。関与する因子として、ビタミンB12と葉酸は教科書に書いてありますが、べタインを忘れるわけに行きません。この三つ巴の補助因子がメチル基を次から次へと運んで行くのです。葉酸のメチル基がVB12へ、するとべタインのメチル基がSAHに渡されてSAMが再生されます。べタインは食事から摂り込むのが普通の経路で、カニ、イカ、タコなど海産物に豊富に含まれているので、地中海食や和食の良さがわかる気もします。
では、NAMドレインを活性化して過剰のNAMを排泄する意味は一体どこにあるのでしょうか?
●NAMPT活性低下でNAMが過剰になると、ネガティブ・フィードバックが掛かって、そのためSIRT1などのNAD依存酵素が働かなくなる(詳しくは → こちら)。
図1の赤四角に書いてあるNAD依存酵素に注目してください。これらの酵素はNADを加水分解することで自らは活性化して生理作用を発揮する酵素群です。そのうち健康長寿と関係が深いSIRT1を図2にも書き込んであります。SIRT1でNADが分解してNAMとなり、SIRT1は活性化して病気を予防し長寿をもたらすのです。ところが困ったことに、NAMPT活性が不足しているとNAMが蓄積し、NAMが蓄積すると、そのフィードバック効果で更なるNADの分解は止まってしまいます。そこでNAMをメチル化して減らせば、SIRT1が働いてサイクルが回転するとエバルト教授は考えたのです。簡単に言えば、メチル基の補給経路を確保することが大事ということです。
●NADブースターとべタインの両方を補給すればNAD不足は緩和される。
これこそがエバルト教授の論文の骨子です。図2に書いてあるVB12や葉酸、更に必須アミノ酸のメチオニンもNAD生合成をサポートする栄養素ですから、それらが欠乏すればNADへの影響は避けられません。ただし言えることは、それらの栄養素はどれもなくてはならないものですから、ちょっとだけ食事に気を使えば簡単には不足することはないのです。問題は必須栄養素ではないべタインのようなものは不足し易いということです。
●1-メチルニコチナミド(MNAM)が増えると良いこともあるとの意見がある。
詳しくは別の機関に回しますが、MNAMは無駄な排泄物というだけではなく、生理学的に重要な役目も持っているようです。研究が進んでいるのは、NAMをメチル化する酵素NNMT(図1のⒹ)を阻害する化合物の研究です。その目的は抗がん薬の開発で、複数の化合物が臨床試験中です。しかし結果は複雑で、一筋縄では行かないようです(詳しくは → こちら)。一方、粥状動脈硬化について、MNAMには血管を保護する効果があるそうです(詳しくは → こちら)。更には、MNAMをアスリートのサプリメントとして推奨すべきとの論文も出ています(詳しくは → こちら)。まとめると、MNAMには良い面と悪い面があるようで、現時点で判断することは困難です。
●べタインにはホモシスチン尿症治療薬の可能性がある(詳しくは → こちら)。
現在、べタイン原末で臨床試験中のホモシスチン尿症とは、先天性アミノ酸代謝異常症です。遺伝病の原因は、図2の左枠内の葉酸とB12の他、ピンク枠内のSAHも関連する代謝異常です。この病気の治療にべタインが有効な理由として、「べタイン補給でSAM合成回路が回転すること」が考えられます。
臨床試験用のべタイン製品が承認されているので、これをNAMメチル化の促進薬として、ちょっと気の早いリポジショニングが当局に認められる可能性は高いと思います。勿論、海産物を摂ることで間に合えば良いのですが、フレイルのような病気になるとなかなかそうも行きません。目的は異なっても臨床試験用薬があるということは力強いことなのです。
【まとめ】以上を纏めます。
- 年を取ると気力体力が衰えるのはNADが減るから。
- その原因はサルベージ回路の律速酵素NAMPTが減るから。
- すると中間体のNAMが過剰に蓄積して回路が止まってしまう。
- VB3などのNADブースターを摂っても効かない。
- べタインを含む食べ物を摂ってNAMをメチル化すれば、ブースターが有効になる。
- 更に加えて、食後にニコチン酸を含むコーヒーを飲むことと、毎日ほどよく運動することを忘れてはいけません。
(第497話 完)