シリーズ『くすりになったコーヒー』


 昔から「良薬は口に苦し」と言いますが、何かの役に立つ諺なのでしょうか?かつて筆者が思ったのは、薬を嫌がる子供を諭すときの口実ぐらいにはなりそうです。ですから最近の薬剤師は「良薬は口に甘し」とか嘯いて、小児用のシロップ剤にストロベリーだとかバニラだとか子供が喜ぶ味付けを施して、売上上昇に心がけているのです。ところが最近、吃驚仰天の論文が発表されました。


●苦い薬に味付けすると、効かない薬になるかも知れない。


 お腹の具合が悪いとき胃腸薬が欲しくなりますが、「苦味健胃薬」と書いてあるのに苦くない薬があります。こんな薬は、飲んでも効かないかも知れない・・・そんなことを心配させる論文が出たのです(詳しくは → こちら)。


 新発見は、舌にだけあると思われていた苦味受容体が、胃壁に見つかったのです。胃は苦味を感じないので、一体この受容体は何をしているのか?それが問題になりました。決め手となった実験は、胃で溶けるカフェインのカプセル剤でした。実験用の苦味物質としてカフェインをカプセルに詰めたのです。


【実験】図1上のように、カフェイン150?を飲み方を変えて飲んだ後、胃内のpH変化(図1下)を記録した。




  舌で感じる苦味(3番)はゆっくりと胃酸を出しました。舌と胃の両方で感じる苦味(1番)は、それなりに胃酸を出しました。最も早く胃酸を出したのは2番の「胃だけで感じる苦味」だったのです。簡単な飲み分けに見えますが、凡人には思いつかない実験方法だと感心しました。カフェインを飲む前に、あらかじめ重曹を飲んで、胃内のpHを中和しておくのも、なるほどなあと感心してしまいました。では、苦いものが胃に入ると、何のために胃酸が出るのでしょうか?


●第1に、食べたものを早く消化しようということで、消化酵素の働きを強めるため。


 第2には、腸の助けも借りて消化を進めるように、腸への出口を開くためなのです。この2つの結果として、胃と腸の働きが良くなって、食べたものを早く消化できるようになるのだそうです。これは確かに新発見で、苦味健胃薬の苦味の意義が明らかになったのです。しかしこれには反論もあります。「舌が苦味を感じるのは、毒を食べないようにとの哺乳類進化の結果」というのです。確かに今まではそう言われていましたし、誰も苦味受容体が胃壁にもあるなどとは考えなかったのです。


●胃壁の細胞に、舌にあるのと同じ苦味受容体が見つかった。


 この苦味受容体に苦味成分がくっつくと胃酸が出てくるのです。その目的が毒を消すためなのか、食べ物を消化して栄養にするためなのか、多分どちらもあり得る話に思えます。その区別は兎も角として、医食同源の立場で注目したいことは、胃が苦味を感じて胃酸を出すことを知らなくても、私たちの祖先は「苦くても食べられるものを食べて胃をすっきりさせる」ことを知っていたのです。そしてそのことを利用して「苦味健胃薬」を作って胃のもたれを癒してきたのです。


 苦味健胃薬には専ら生薬が使われました。そして今も使われています。よく使われるのは、オウバク、センブリ、ゲンチアナ、ニガキなどで、どれが一番苦いかと言えば、センブリという意見が多いようです。日本でセンブリが使われるようになったのは、あの有名なシーボルトが、欧州のゲンチアナと間違えたのがきっかけだったとの説も伝わっています。


 近年になっても、センブリの健胃作用をうまく説明できる成分は見つかりませんでした。何故かと言えば、薬理学者の頭の中には、「薬としての作用は化学物質が出すのであって、味が薬理作用を出すわけはない」という知らぬが仏の常識しかなかったからではないでしょうか。今となっては、健胃薬は専ら苦味生薬が主流で、合成薬は皆無という現実が、薬の歴史の皮肉な話になるのです。


 話を食に戻しましょう。苦い食べものが食欲を刺激することはよく知られています。ある食品会社のアンケート調査によれば、第1位は夏に美味しいゴーヤチャンプルだそうです。そして2位と3位にはビールとコーヒーが続いています。苦い食べものは意外と少ないことに気づきます。私たちの祖先が「苦いものは毒」との言い伝えで、苦い植物を畑で栽培しなかったからかも知れません。つまり、身の回りに苦い食べものが少ないという現実が、苦味健胃薬の需要につながったとも言えるのです。


「良薬は胃にも苦し」現在の創薬研究を目指す人たちにも是非教訓にして頂きたい話です。


(第331話 完)


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