シリーズ『くすりになったコーヒー』
最近は入院して手術を受けても、翌日には食事が出てきますし、「寝てばかりいないで歩きなさい」と言われるし、大手術でも1週間で退院を勧められたりします。医療の進歩と言えばそれまでですが、1番の理由は、医療費の無駄を減らすこととのことです。
●入院期間をさらに短縮するには、術後の回復を早める必要がある。
術後に寝たきりにならず、必要ならリハビリで体を動かしながら早期の退院に備えます。食事は早めに普通食を食べて筋肉の消耗を防ぎます。そういうことが本人にとっても社会にとっても良い結果につながるのでしょうが、しかし、どうにもならない医学的問題があるのです。
●術後に発症する虚血再灌流障害が入院期間を長引かせる(詳しくは → こちら)。
内臓の手術では、大なり小なり血を止めます。すると血が途絶えた部分では、酸素と栄養が不足して、ATPが出来なくなって、エネルギー枯渇状態が生じます。それでも手術が終わって再び栄養が来た時に備えて、ATP合成の準備だけが進みます。そして、実際に再灌流が始まると、ATP合成が一気に進んで、副産物の活性酸素が急速に増えてしまうのです。活性酸素は再灌流組織にストレスを負荷して、虚血再灌流障害が発症し、術後の回復が遅れます。難局を打開するため、次のような仮説が生まれました。
●虚血再灌流障害を予防できれば入院期間が短くなる。
最初に試されたのは、枯渇したATPそのものの投与でした。しかし効果はほとんど得られませんでした。次に試されたのは、昔から知られていたビタミンやグルタチオンなどの古典的抗酸化剤や抗酸化酵素でした。動物実験では一定の効果を示しましたが、臨床成績の向上には今一でした。その後、試験物質の範囲をさらに広げて、サプリメントとして人気が高まったポリフェノールが登場し、そして2006年、遂にコーヒーが試されたのです。
●回腸手術の前後にコーヒーを飲んでいると最初の蠕動運動までの時間が短い(詳しくは → こちら)。
腸の手術では、術後の腸閉塞がよく起こります。蠕動運動が止まって排泄困難な状態です。回腸手術を行う患者80名を2分し、一方に術前から1回100ミリリットル、1日3回のコーヒーを飲ませました。もう一方は対照群で水を飲みました。術後の観察項目として、最初の蠕動運動、最初の放屁、最初の固形食までに要した時間、そして退院までの日数の4つでした。結果を表1にまとめます。
赤字で示した最初の蠕動運動までに要した時間で、コーヒー群が有意差のある時間短縮を示しましたが、その他の項目に有意な変化はありませんでした。
●デカフェコーヒーの方がよく効いている(詳しくは → こちら)。
腹腔鏡下結腸左半切除術を受けた105名を35名ずつの3群に層別。レギュラーコーヒー、デカフェコーヒー、水を無作為に振り分けて、1日に3回、各100ミリリットルを飲んでもらいました。観察項目は、表1に似て、最初の蠕動運動、最初の放屁、固形食開始までの時間とし、表2のような結果が得られました。
表2の赤字をご覧ください。最初の蠕動運動までの時間は、予想に反してデカフェコーヒー群が最も短かかったのです。カフェインの入ったレギラーコーヒー群は水群より短いものでしたが、デカフェには劣っていました。つまり、効果をもたらしている成分の中心はカフェインではないということです。これまでに、腸の蠕動運動を刺激するコーヒー成分としては、フェルラ酸とNMP(トリゴネリンの熱分解物)が知られていますから、それらのどちらかまたは両方の効果であると考えられます。
●コーヒーは、婦人科癌患者の手術後の腸回復速度を早める(詳しくは → こちら)。
この研究では、子宮と卵巣の摘除術を受ける予定の114名を無作為に2分し、一方には術前から1日3回のコーヒーを飲んでもらいました。術後の観察項目は、最初の放屁、最初の排便、および固形食開始までの時間とし、表3の結果がえられました。
婦人科がんの手術では、コーヒー飲用群ですべての観察項目が改善していました。表1と2は腸手術、表3は婦人科手術の違いがあります。数字を単純に比べますと、子宮や卵巣など、腸とは一応離れた臓器の婦人科手術では、腸に直接の損傷がなかった分だけコーヒーへの反応が強かったのだと考えられます。
以上3つの研究に共通している観察は、手術前後にコーヒーを飲んでも、患者の健康に悪影響は全くなかったということです。つまり、医薬品の臨床試験に真似て言うならば、手術前後にコーヒーを飲む行為は、患者にとって十分に安全であると言えるのです。
●以上の経緯を経て、コーヒー主成分の1つであるカフェインを試験薬として、術後回復期間への影響を調べる無作為化二重盲検試験プロトコルが発表されました(詳しくは → こちら)。
スイスで6番目に大きいザンクトガレン病院の研究グループは、術後の回復に寄与する成分はカフェインであるとの考えから、この臨床試験を企画したとのことです。試験は既に始まっていますから、そう遠くない将来に結果発表が行われると思われます。カフェインか、それともコーヒーかとの議論は残りますが、先ずは「薬は純粋化合物に限る」との西洋医学の考えで、欧州社会が受け入れやすい方法を選んだのだと思われます。
何はともあれ成功を祈りたい気持ちです。
(第318話 完)
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