シリーズ『くすりになったコーヒー』


 多発性硬化症の治療薬として欧米で使われはじめたテクフィデラ(バイオジェン社)、日本でも承認審査中です。ネーミングは「最先端科学、バイオが生んだ医薬品」といった響きですが、実は拍子抜けするほどに簡単で、陳腐で、かつ安上がりな原料・・・と聞いてびっくりの薬です。


 テクフィデラが米国で発売されたのは2013年、欧州では2014年のことでした。今どき珍しい“その辺で見つかった薬”の誕生でした。発売当時の価格が以前の薬に比べて安かったので、市場人気は上々、2013年の最後の3ヶ月間、米国での売り上げは2億8600万ドル、2014年には2.2倍、国外を加えると8億ドルに迫りました。発売1年で既存薬を超えたのです。


 しかしその年の暮、1名の患者が進行性多巣性白質脳障害(PML)という重篤な障害作用で死亡。当局は警告を発して注意を喚起しました。その影響の行方を見ながら、日本での承認申請が遅くなったと云うわけです。結果は、治療薬としての有用性がPMLリスクを上回るとの判断で、販売継続となりました。


 さて、安い価格の理由です。テクフィデラの化学名はフマル酸ジメチル(図を参照)。昔から知られた物質で、化学合成で簡単にできるので、防カビ剤として汎用され、大量生産の製造コストは非常に安くなりました。原料となるフマル酸は、哺乳類の体内にもある天然物。細胞のエネルギー生産歯車の一員でもあり、なくてはならないごく普通の物質です。しかし、新薬の値段は安いとは言え、高過ぎる感が残ります。



 さてさて、価格のことはさて置いて、テクフィデラの効き目の原理を簡単に言えば、抗酸化性転写因子Nrf2を元気にすること。Nrf2とは、本ブログに何回も登場した優れもので、あらゆる種類の酸化ストレスに抵抗する要です。癌を抑制し、血管をしなやかにして心臓を守り、脳卒中を防ぎます。それだけでは終わりません。タバコの煙に含まれる強力な発癌物質ベンツピレンを解毒します。そんなテクフィデラですから、脳神経も守ってくれるのでは?と思っていたら、ずばり的中、多発性硬化症の薬となって欧米で脚光を浴びました。ごく最近には、パーキンソン病マウスに有効との発表もありました。そして間もなく承認されて上市されれば、大勢の患者(特にコーヒー好きの北欧の患者)が飲むでしょう。しかし、この論文には、コーヒーとの関係で気になることが書かれています。


●コーヒーのトリゴネリンは、Nrf2の作用を弱める(詳しくは → こちら)。


 論文にコーヒーとは書いてありませんが、テクフィデラによるNrf2活性化を証明するため、阻害薬トリゴネリンを同時に投与したのです。すると、テクフィデラの作用が消えたので、Nrf2の関与が証明されたということです。思い出していただきたいことは、トリゴネリンはコーヒーの主要成分の1つということです。


●テクフィデラで治療するとき、コーヒーを飲んではいけないのか?


 コーヒー、特に浅煎りのコーヒー1杯には、50?前後のトリゴネリンが含まれています。2杯飲めば100?になる量です。この量はテクフィデラの効き目をどの程度邪魔するのでしょうか?マウスの実験から推論してみます。


●トリゴネリン1?/?の投与で、8週齢マウスのNrf2発現が抑えられた(詳しくは → こちら)。


 このマウスの数値を体重70kgの成人に換算しますと、浅煎りコーヒー数杯に当たります。50kgの人なら1杯で十分な投与量になるかも知れません。ですから、テクフィデラで治療中の患者は、多発性硬化症であっても、パーキンソン病であっても、コーヒー、特に浅煎りのコーヒーは控えた方がよいと考えられるのです。健康食品として売られている生豆コーヒーや、トリゴネリン添加のトリゴネコーヒーなどは、絶対危ない商品ということです。しかし、この件について、臨床試験で確かめられたわけではありません。あくまでも筆者の予測です。


●コーヒーとテクフィデラの食-薬相互作用に注意せよ!



 テクフィデラが上市されたら、医療関係者の皆さん、特に薬局薬剤師の皆さん、市販後の監視を宜しくお願いします。コーヒーには、カフェイン以外にも薬と相互作用する成分が入っているのです。


(第302話 完)



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