「知らない人が増えた」


「意見交換をフェイストゥフェイスでできるのでプラスになっている一方で、『知らない人がすごく増えた』という声も聞こえてくる」


 現状をこう説明したのは、取材に応じた井川智之研究本部長だ。大きな研究所をつくると「製品が出てこなくなる」というジンクスがあるという。「業界あるある」だそうだ。それは、規模が大きくなることで知らない人が増え、逆に研究者同士のコミュニケーションが希薄になってしまうことが要因のひとつとみている。


活性化の仕掛けづくりに邁進する井川氏 


 そして井川本部長はこう危機感を顕にする。


「モノが生まれなくなる、ということにならないようにしなければならない」


 中外LSP横浜に足を踏み入れると、各研究棟や居室棟を繋げる「スパイン」と呼ばれる300メートルの長さをもつ廊下がメインストリートとして君臨している。「背骨」の意味をもつスパインは、研究者らが移動のためだけ使うのではなく、さまざまな分野の研究員やスタッフが出会い、コミュニケーションを通じて新たなイノベーションを生み出す機会を創出するという想いを込めて名付けられたものだ。


「何もしないと単なる通路にしかならない」(井川本部長)。現状でも、研究者やスタッフの交流会、イベントなどは開いているが、専門性の異なる研究員が出会って議論する仕掛けつくりをいま以上につくらないといけないと指摘する。


 現在、中外LSP横浜には、研究員やそのほかのスタッフを合わせると総勢1000人近くがいる。中外製薬は、21年に成長戦略「トップアイ2030」を策定し「R&Dアウトプット倍増」「自社グローバル品毎年上市」を目標として掲げている。この目標を達成するために、新卒、中途ともに研究者の採用を増やしている状況だ。実際、中外LSP横浜が稼働してから、200人ほど研究員が増加したという。


 中外製薬によると、24年4月入社の研究開発全体の採用人数は、前年度比41人増の134人に拡大している。研究所がひとつにまとまったことだけでなく、採用が増えていることも「知らない人」が増加している大きな要因のひとつとなっている。


 一方、「知らない人」は増えたものの研究所が統合したことによるメリットは、各プロジェクトのコミュニケーションがより活発になったという点にある。井川本部長によると、プロジェクトメンバー同士のコミュニケーションが活発になったことで、議論内容のレベルが相当上がったといい「自立的に推進できている印象がある」との感触を示した。トップアイ2030の目標達成に向け、プロジェクト数が増えれば増えるほど部長らの指示を待っていては、意志決定に時間がかかってしまう。そのため、意志決定を早めるための取り組みも行っている。


 会議のレベルにもよるが、例えば井川本部長を必須参加者にしないことなどで、意志決定のスピードを早めるように心がけているという。


 成長戦略の目標達成のために、積極的に人材獲得に取り組み、実際に採用数も増えている中外製薬だが、それでも悩みや苦労もあるようだ。「研究者の専門性によって採用しやすい専門性もあれば、分野によっては国内に研究者がおらず苦労することはある」(井川本部長)。例えば、バイオロジーや分子生物学の研究者は数多くいるが、薬物動態やタンパク質の構造解析など「とくに専門性の高い分野」は、そもそも国内の大学に研究室がない場合も多いという。


 そのような研究者を採用するには「ホームページ上で『募集中です』と待っているだけではだめ。探しに行かないといけない」。そこで「攻め」の採用を心がける中外製薬では、動画投稿サイト「YouTube」を通じて、社員の対談方式で同社の薬物動態研究に関する動画を投稿するなどして「少しでも興味をもってもらう」活動を行っている。


 足を使っての研究者獲得にも励んでいる。国内はもちろん、海外の大学にも出向き、中外製薬の研究内容について説明する機会も設けているという。海外の大学にも目を向ける理由は、日本国内の少子化が進み、それに伴い博士号まで取得する学生も減ってきているためだ。中外の研究を支えられる研究者を持続的に確保できるかという問題意識に基づく。


 そのため、海外の人材が中外の研究所で働いてくれるにはどのような仕掛けづくりを行えばよいか、社内でも議論を重ねている。積極的な採用活動を進めているとはいえ、海外学生の間での知名度はまだまだ低いとの感触だ。