存在力の低下が著しい日本事業
OTC薬事業売却に見る音痴ぶり
しかし、それから9年余り。実際に我われの目前に起きたのは、英国の詩人バイロンが遺した「事実は小説よりも奇なり」の言葉をなぞるかのような常軌や常識を逸した出来事の連続であった。
計2兆円をかけた海外2社(米ミレニアムとスイス・ナイコメッド)のM&Aに対する著者2人の「懸念」が、今では可愛らしくすら思える6兆8000億円を投じたアイルランド・シャイアーの買収を手始めに、国内最強企業・トヨタ自動車の豊田章男会長を上回る役員報酬をウェバー社長が自らにお手盛りし続けたという事実。その一方でОTC薬事業だけでなく、従業員の生首までもバランスシートを良く見せるために切り捨てた姿勢。そして市場関係者すらもが危惧するタコ足配当の継続。どれを取ってもサプライズは伴うものの、それらが会社に力強い成長をもたらしたのかという視点で見ると、いずれもが「否」だ。
シャイアーを併呑して世界の十傑入りを果たすという目論見は売上高でも時価総額でも結局果たせず、それでいながら、24年3月期までの10年間にウェバー社長が受け取った報酬の総額は150億円強に上る。戦後、武田が大切に育ててきた武田コンシューマーヘルスケア(現アリナミン製薬)を21年3月に2400億円で米投資ファンドのブラックストーンに売却したことは返す返す不愉快だったが、あろうことかこのファンドは、わずか3年保有しただけで、同業のMBKパートナーズに約3500億円で転売した。
ブラックストーンは租税などを考えなければざっと計算して1年間で367億円、1日あたり1億円を儲けたことになる。「濡れ手で粟」とは、まさにこういうことを指すのだろう。だが逆に捉えれば、欲深いマネーゲーマーらが相応の価値があると認めた証左でもあるとも言える。そうなると、そもそもОTC薬事業を勝手に非コアと認定し、まるで用無し部門のように切り離したウェバー社長の非見識ぶりが、改めて際立ってこようというものだ。
「革新的な医薬品を持続的に創出・提供するため」と銘打って、国内事業を対象として今秋より4年ぶり2度目に実施するリストラに至っては、論外である。まず、ウェバー治世下でいつ、どんな革新的な医薬品が登場したのか筆者は寡聞にして知らない。次いで、社員の「任意」をベースとしたFCP(フューチャー・キャリア・プログラム)だと、謳い文句だけを捉えれば耳障りがいいが、現実には、余剰感の強いセクションの従業員の首を真綿で閉めるような事実上の退職勧奨をこれまで重ねてきた会社である。今回ターゲットとなるMRや研究開発職だけは異なるという保障もない。
元来30年程前まで、社員の首を切るのは、上場企業の経営者にとって一番の恥とされてきた。それは製薬業界も例外ではなかった。役員報酬の返上や遊休資産の売却を手始めに、万策を尽くした果てに断腸の思いで実施した。人減らしを行わなければならなかった社長は業界内でも陰に陽に失格者のレッテルを貼られ、通常はそうなる前に自らの進退を決めたものだ。
そんなものはJTC(伝統的な日本企業)の、これまた古臭いJTM(伝統的な日本経営)だと、今日流行りのコンサルティングファームあたりが一笑に付すかも知れない。しかし拙い例えとなるが、船を傷付け、乗組員を何人も失わせた船長が責任を取らず、操舵室で安寧をむさぼり、船主に対してだけは過剰な配当を行って良い子を演じ続けるという光景は異常であり、歪んでいる。
誰も、そんなトップやその命令のもとに動く幹部には忠誠心を示さなくなる。ちなみにリアルな海運の世界でそんなキャプテンがいたとしたら、たちまち船内で反乱が起きるか、陸に上がった段階で業界追放となろう。
そういえば製薬業界でもおよそ20年前、ファイザーの第1期黄金時代を築いたアラン・ブーツ社長の後任として仏ファイザーから転じたソーレン・セリンダー社長が、今から思えば「好業績下のリストラ」のはしりとして、MRの指名解雇を企てたところ、労働争議に発展。程なく、米国本社の知ることとなって1年で飛ばされたことがあったことを思い出す。
しからば、セリンダー氏の振る舞いをはるかに上回る植民地的な「制裁」を受け続けている武田の国内従業員たちが、いよいよ立ち上がるのかと問われれば、それはないだろう。気が付けば武田の全従業員約5万人のうち日本人は、5000人強にまで縮小している。すでに9割は外国籍。これまでの会社の沿革からたまたま本社が所在しているに過ぎない極東の、しかもマイノリティー集団の処遇を中心とした不満など、共感を呼んで連帯を築くことなど不可能だ。
さらに、来春までに首尾よくFCPが「完了」した暁には、武田の内部におけるプロパー日本人社員らは絶滅危惧種の寸前にまで追い込まれているものと想像する。とどのつまりは「蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す」るよりは、分厚い特別退職金をもらってとっとと背中を向けるほうが、誰から見ても賢い選択となる。
かつての武田は、創業家の存在がもたらす不屈と誠実を二重らせんとして、研究開発で常にライバルの一歩先を行き、全方面に対する圧倒的なブランド力で分厚い利益を生み出していく有機体のような存在だった。ところが不運が重なって創業家の機能が亡失し、代替について深く考えずに外国人に委ねた結果、信用は非可逆的に色褪せ、求心力を欠いた組織はTETとその他に分裂しながらその一部は壊死を始めている有り様だ。ところが舵取り役は、この忌まわしき現状から目を逸らしながら「大丈夫」と繰り返すだけで、肝心の巨艦は明日の進路すら示せず、漂流の度を強めている。
冒頭に触れた『大丈夫か武田薬品』に敢えて問答歌で応えれば、「もうあかん」という言葉以外は浮かんでこない。覆水盆に返らず。社長君臨11年目を迎えた「ウェバー天皇」の罪業はかくのごとく深く、付け加えれば、彼を三顧の礼で招いた長谷川閑史前会長に至っては万死に値しよう。