悪くなるほうが「儲かる」矛盾


 私は医療の教育課程にいて、肌感覚としては病院では患者が最優先の状況にあり、患者のウェルビーイング(well-being)のために医療者はひたすら努力して研鑽を積み頑張るという、いわゆる従来の医療の構造が普通のところに置かれている。確かに、私が学生の頃よりは、患者の意見や多職種での意見交換を重要視するようになってきた。しかし、衆院選でいうところの、有権者とマスコミのような関係になっているところもある。医療者のあり様によって患者の考えや気持ちはどのようにも揺らすことができるのだ。


 新型コロナウイルスワクチンの件もそうである。ちなみに私はワクチン反対派でも賛成派でもない。自分で考えて費用対効果が薄いと思い、接種しないだけである。最近はワクチンの害が大きく取り上げられ、そうならないように中立さを保つためにACP(アドバンス・ケア・プランニング)などを個々に考えようという雰囲気もある。個々人の思考を拡げ、自分の生活や目標に真に根差した意思決定を促している。つまり、それが個別化医療を促進する。


 個別化医療は、多様な時代の少し未来の医療として期待されているが、その実現には多くの課題がある。とくに、エンドユーザーである患者に、自分で考える機会を削いで、医療への依存を促進するような医療側の姿勢が障害となっている。予防医療の推進も、エンドユーザー(市民)の無関心や短期的な利益追求に阻まれている。個別化医療は本来、早期から自分の生活習慣を見直せるような介入を強調するが、実際には多くの人がその効果を実感しにくいうえ、長期的なメリットよりも即時の利便性やコストに左右される。


 また、介護保険の例も示すように、制度の設計が逆説的な結果をもたらすことがある。介護保険にはADL(日常生活動作)維持等加算というものがあり、利用者の介護度が改善した際に付与される。ところが現実には、介護度が上がるほうが介護事業者が報酬を得やすく、苦労して改善してもらうようにするよりも、何もせずに、ただ状態の悪化をみてるだけのほうが簡単だという実情がある。つくづくモラルのない業界だと思う。こうした制度の矛盾も、短期的な利益や効率を優先する社会のあり方を反映している。これは、予防よりも治療、未来よりも現在の快適さを優先する個別化医療の課題とも通じる問題だ。


 このように、医療や介護の制度は、あくまで経済的な動機に立脚している。個別化医療の開発には巨額のコストがかかり、結果として企業や医療機関は短期的な利益を追い求めるしかない。そして介護保険に至っては、患者の状態を改善させるよりも悪化させるほうがビジネスとして効率的という、皮肉にも逆説的な報酬構造が存在している。結局、患者が「悪くなる」ことが、最も手っ取り早く儲かる仕組みになっているのだ。


 選挙もまた同じだ。政治家たちは本質的な政策には見向きもせず、対立候補のスキャンダルや金銭的な利益に焦点を当て、有権者の目を逸らしている。議論されるべきは国の未来や社会の本質的な問題だが、代わりに非難合戦や表面的な議論が繰り返される。これでは、社会全体が短期的な利益に踊らされるのも無理はない。そこに有権者を巻き込んで、真っ当な意見が言えないようにスポイルしてしまっている。


 個別化医療、介護保険、そして選挙に共通しているのは、いずれも短期的な利益や表面的な争点に翻弄されるという事実だ。これらのシステムが本来の目的を果たすには、エンドユーザーが事実を直視し、冷静に本質を見極める必要がある。しかし、現実にはそんな「材料」は一向に提供されず、幻想が社会全体を覆い尽くしている。


 結局のところ、先駆者たちがいくら優れたアイデアや技術を提供しても、エンドユーザーが本質を理解せず、行動しない限り、個別化医療も介護保険の改善も、そして選挙による国の政治の改革も、すべてが幻に終わるだろう。