先駆けとなったのは1996年1月に公表された「『魅力ある日本』の創造」。バブル崩壊後とはいえ日本経済がなお輝いていた頃で、公表されたビジョンも勢いがあると高い評価を得ていた。トップが豊田章一郎トヨタ自動車会長で豊田ビジョンとも呼ばれていた。


 当時、財界では各団体間に取り組むテーマとして、日経連(日本経営者団体連盟、経団連の前身)は労働問題などと暗黙の棲み分けがあり、教育などの将来ビジョンは経済同友会の専管事項となっていた。だから「過去に実績があるので一緒にやったらどうか」との批判ともボヤキともつかぬ声が挙がっていた。経団連は、政権を操る「伝家の宝刀」政治献金を廃止した直後で存在意義が問われていた。シンクタンクとしての生き残りを賭ける、かつてない奮闘と努力、そしてあがきが成果となって表れたのかもしれない。


 ビジョン作成で中心的な役割を果たしたのは当時課長クラスだった現事務総長の久保田政一と専務理事の藤原清明。バブル崩壊後の後遺症で経済全般に閉塞感が強まっていた。ビジョンは冒頭で、政治、経済、社会のシステムが行き詰まった日本経済が活力などを喪失したことを指摘、「自由でオープン」「一人ひとりが高い責任感を持つような新しい時代の人づくり、ライフスタイルの構築、生活環境づくりを目指したい」と狙いを説明した。


 30年近く前の作成であるにもかかわらずその斬新さには驚嘆する。基軸となる理念は現在では語られなくなった「官から民へ」「国から地方へ」。自由闊達かつ開かれた豊かな社会の実現を目指した「規制の原則撤廃」やゼロベースでの社会的規制の見直しを宣言。自立自助を基本に透明で小さな政府を実現し、民間活力を最大限に生かすことによる安定的発展の実現を謳っている。首都機能の移転も盛り込まれており、10年までの新都市での第1回国会開催を提唱した。


 興味深いのは市民団体との連携を打ち出している点。さまざまな活動を手掛ける非営利組織(NPO)が社会の広範なニーズに応えていく時代になったとの認識からで、それとの共生が社会に柔軟性とダイナミズムをもたらすと強調している。昨年就任した同友会の新浪剛史代表幹事がNPOなどとの連携を説く共助資本主義を打ち出し、トップを同友会の役員に招致するほど力を入れている。濃淡の差はあるが経団連はすでに30年前にその重要性を主張していた。


 続編が奥田碩会長時代の03年1月の「活力と魅力溢れる日本を目指して」。中身は世界から「行ってみたい、住んでみたい、働いてみたい、投資してみたい」と思われる日本の再生のための提案と実現に向けた行動方針を盛り込んでいる。20年度の日本の姿を描いた豊田ビジョンに対し奥田ビジョンは25年度の姿を射程に入れている。


 基本理念は、「多様な価値観が生むダイナミズムと創造」「共感と信頼」。戦前の大東亜共栄圏を思い出す東アジア自由貿易圏の20年までの建設を急務としたほか関税撤廃、投資自由化、アジア通貨基金創設や域内協力と地球環境問題などのグローバルな諸問題の解決に向けた協力を挙げている。


 注目点は第4章「改革を実現するために」の中の「日本経団連はこう動く」。政党支援のため企業の応分の負担の必要性を指摘、企業献金の再開を打ち出した。大義名分に掲げるのが「議会制民主主義を支える」で1年後に再開を宣言した政策評価を軸とした新型献金の布石ともいえる。打ち上げ花火としてビジョンで公表し、世間の反応を見る代表例だろう。


 3つ目のビジョンが故安倍晋三首相と入魂の間柄だった御手洗冨士夫会長(キヤノン会長)の07年1月に発表した「希望の国、日本-ビジョン2007」。復古主義的な盟友の趣向が存分に盛り込まれ、イデオロギーとはこれまで一線を画していた経団連のあり方が問われた。冒頭、「希望の国」の実現には「教育、政治・憲法などをイノベートしていくことも欠かせない」「課題に使命感をもって取り組むなどを備えた人材が求められる」と力説。もちろん、イノベーションの推進による「新しい成長エンジンに点火」「経済協力の戦略的な展開」などの記述もある。


 だが、やはり目につくのが「教育再生」を筆頭に「志と心」「公徳心の涵養」「克己心」「愛国心」などの戦前を想起させる教育勅語的な主張。改憲についても自衛隊保持の明確化など安全保障政策の再定義の重要性を指摘。10年初頭までを目指すと明記した。かつて、経団連が改憲を前面に打ち出したことはあったか。これが最初で最後ではないのか。政権への追従ではないのか。であれば、財界の総本山を強引に政治に引きずり込んだ褒められないケースとのそしりは免れないだろう。会員の支持は果たして得られたのだろうか。


 4番目が15年1月公表の「『豊かで活力ある日本』の再生」。2030年の日本の姿を見据えた提言で目新しいのは国内総生産(GDP)を615兆円と予想した程度か。当時の榊原定征会長の思い入れで「経団連の使命」についてページを割いていることも目を引く。


「民主導の成長実現に向けて、経済界全体の進むべき方向性を示し、企業の積極果敢な行動を先導する」とし「政治・行政に対して積極的に政策提言・働きかけを行う」と表明。「目指すべき国家像」に「成長国家としての強い基盤を確立」「地球規模の課題を解決し世界の繁栄に貢献」などを挙げている。何のことはない。これまでの主張の焼き直しである。