脳が見え始めている実感
何度かこのコラムでも疑問を呈したように思うが、最近の医療や医療現場では「共感」がよく叫ばれる。付随して出てくる言葉が「寄り添い」。徐々に、そうした言葉が頻出するにつれて、その言葉を唱えていれば医療や看護、介護の質が上がると言わんばかりの風潮に変化する。数年前に、看護職者に「共感」「寄り添い」はスローガン化してませんか、と問いかけて、かなり激しい口調で叱られた。口に出して言わなければ、気付かない、できないスタッフもいる。悪いことではないのに水を差すな。
意外な反駁にたじろいだことは間違いないのだが、例えばインフォームドコンセントはいつの間にか常識化しており、医療や看護・介護の現場では半スローガン化を通して定着することが大事なのかもしれないと思うようになった。「医療現場を知らない」私には、それでも現場の質が上がっているという実感を聞いたことがあまりない。
よく聞く話に看護を担当していた患者が亡くなった時、初めて経験するナースの多くが慟哭するという。これこそ共感してしまう。しかし、看取りに慣れない人も結構いて、部署を変えてしまったり、看護職そのものをやめてしまう人もいると聞くと、「共感」には、自分の理解を超える深みがあることを頭の隅に置いている。
今回の読書は、若い脳神経科専門医の生い立ち、ジュニアレジデント時代からの患者との交流と、自らの恋愛とその破綻を軸にした私的世界が重なり合いながらストーリーが進められている。読書途中からポピュラーサイエンスではなく、物語として読んだ。
物語の主役のジョエルはミラータッチ共感覚者で、神経科、精神科、つまり脳の健康を診る医師だ。2%程度しかいないというミラータッチ共感覚者として、それを脳医学に活かしたいと何度か物語で宣言している。だが、その道のりは苦悩に満ちていて、何度かの経験を通じて信頼できる仲間との出会いと、その彼らの言葉や人生観に触れて自分を取り戻す過程も丁寧に描かれている。
彼はミラータッチ感覚とともに、数字や音、景色、話す相手を「色」で見ていく。その色で共感覚を得ていく。お気に入りの数字は4のようだが、単純ではない。それらの数字が持つ「個性」が友人や音楽の複雑な色で見えてくる。「色見本の3245番の色」などと表現されても戸惑うだけだが、例えば医大のある友人は「ターコイズブルーの巨大な7」で、周りに黄緑色でやや不器用な6が少々散らばっているなどという感覚。読書はそれを認めて、それこそ著者と「共感」しないと進めることができない。加えて、サイエンスというカテゴリーを常に意識しておかないとファンタジーと錯覚する。
ただそうした誤解への連絡は彼の友人関係、家族関係、恋愛関係などの現実の苦悩が語られることによって遮断される。フィクションではそれらの関係性が物語の核となるが、彼のミラータッチ共感覚は読者にそれよりも不思議な印象を伝えるため、例えば恋愛の苦痛のほうが現実感を伝えるのだ。
同じ共感覚者との対話を通じて彼は、「自分に自分を委ねる」という境地にたどり着き、「僕は今まで他者に身を委ねてきた。患者や医学という学問に身を投じ、パートナーや結婚という制度に身を投じることに生きる意義があると信じていた。でも実際には、自分自身を消し去ろうとする犠牲的精神にすがって生きようとしていた」は、共感覚者とだからという地平からは遠い。また理解されるために共感覚者と仲間になる必要はなく、「自分を失うことなく相手の経験を分かち合える程度」でいいとの境地も語っている。
脳医科学者として、彼は医大3年生の段階で神経科学の「最高の指導者」のフェローとなって共感覚の科学的アプローチをしたことも明かしている。彼と彼の当時の指導者ペグ・ノプロス博士などの推論をみると、共感覚者は「シナプス(ニューロンの樹状突起)の刈り込み」に問題があるのではという話に向かっている。この理論は、「脳科学で解く心の病」で、エリック・カンデルも言及している。
カンデルは自閉スペクトラム症と統合失調症に関してシナプスに関する知見を語り、シナプスが十分に刈り込まれていないための疾患(自閉スペクトラム症)、過剰に刈り込まれたための疾患(統合失調症)の違いを語っている。「シナプスの刈り込み」は、生まれてから幼少期には脳の異なる領域間情報を集めるために密集したシナプスを、思春期頃から、不要な結合を除去し、ニューロン回路を洗練し始めることをいうが、彼らは「共感覚」はシナプスの刈り込みの欠陥が「まだらに」起こっているのではないかとの仮説を語っている。共感覚を疾患と捉えることはできないが、それでも共感覚者の多くに「てんかん」のような疾患を持つ人が多いとされる。著者自身も医大2年生のときに原因のはっきりしない脳腫瘍状態の手術を受けている。
読者としてワクワクするのは、こうした脳医科学の進歩の状況をビジュアル化しているように見えることだ。自閉症も統合失調症も共感覚者の存在とともに、その治療のベースラインが引かれ始めているように思える。
またミラータッチ共感覚者が医療現場で活躍してほしいのは「痛み」の伝達だ。著者自身も語っているが、当事者がその苦痛を「情動面」で理解を求めることが多いものの、身体的共感をどこかで活かせれば、患者の強い味方になるはずだ。著者自身、手術時や事故時の人たちの痛みを感じたことを本書でも再現している。ミラータッチ共感覚者の科学者として、それをもう少し追究してほしい。
最後に彼が語る「共感のスキル」が感情教育の一環としながらも、多様なレベルで「共感」を習得できると述べている。読者としてその一歩先の期待が読後に残る。