——研究する環境は。
國頭 そもそも高額薬剤の研究は製薬企業から嫌がられる。今回の試験は4月に開始したものの、症例集積は順調ではない。製薬企業からのCOI(利益相反)がある医師はあまり協力したくないのが本音だろう。患者にとっても、病院経営の観点からも、面倒見のいい新薬の治験のほうが優先される。だから、AMEDのような公的資金による支援がほしいところだが、あまり手を差し伸べてもらえないのが実情だ。
——国は高額薬剤の研究よりも、薬価を引き下げて膨らむ医療費に対応してきた。
國頭 薬価の引き下げだけで医療費をコントロールする戦略に私は懐疑的だ。日本では薬価が高いわけではなく、医療費が膨れ上がっているのは使用量、無駄遣いが多いからと考える。高額療養費制度によっていくら高額薬剤を使っても患者の自己負担は変わらない。それに高額薬剤は病院の薬価差益にもなる。こうしたなかで、私が投与量を減らす研究をしたところで、誰もありがたみを感じない。
——インセンティブが働きにくいと言える。
國頭 まったくもってそうだ。効果はそのままに保ち、投与量を減らせるなら、患者の身体的な負担や国家財政の面でもいいに決まっている。それなのに誰も見向きをせず、医療費を保険料で負担し、税金からも捻出し、それでも足りないから国債で賄っている。それでいて高額薬剤がどんどん必要以上に使われている状況は、もはやモラルハザードとも言える。私が生きているうちにも財政は破綻してしまうのではないか。
——今後はどうしたらいいと考えるか。
國頭 医療財源が絶対的に足りなくなったら、優先順位を決めなければならない。米国の判断基準はシンプルにお金だ。お金持ちと貧しい人では受けられる医療に差がある。だが、日本人はこれを許容できないし、そうすべきでもない。私は個人的に、基準は年齢しかないと考えている。もっとも客観的で公平でごまかしようがない。もし、若い人と私のどちらかしか助けられないという状況なら、若い人を助けるべきだ。
——認知症など高齢者に使われる高額薬剤も登場している。
國頭 どの診療領域にも必ず無駄はあるはずだが、医師は自身の領域となると無視してしまう。医療の無駄を削減しようと口で言っても、自身の領域に高額薬剤が出ればとたんに素晴らしい薬だと歓迎する。今回の私の研究は100億円単位の削減の可能性があると話したが、50兆円に近い医療費からすれば焼け石に水だ。私ひとりで努力したところで、どうにかなる問題ではない。社会全体で考えるべきところだが、現状を見れば非常に悲観的だ。
——それでも、いまなお高額薬剤の研究を続けるのは。
國頭 私だって、もうやめたほうが楽だと思っている。そして日本が財政破綻したときに「ほれみたことか」と言えばいい。私が8年前にオプジーボを契機に国が滅ぶと発言したとき、周囲は「何を大げさな」と言ってきた。医療費の急増をこのまま放っておいて大丈夫なのであれば、その確証を持たせてほしい。そうしたら、私はいままでの発言を撤回し、世間を騒がせて申し訳なかったと謝る。(長谷川)
國頭英夫
日本赤十字社医療センター 化学療法科(腫瘍専門)部長
鳥取県米子市出身。1986年東京大学医学部医学科卒業。横浜市民病院呼吸器科・国立がんセンター中央病院内科・三井記念病院呼吸器内科などを経て2014年より現職。英文医学雑誌Japanese Journal of Clinical Oncology編集長。2024年より政府税制調査会委員。「里見清一」名で週刊新潮にコラム「医の中の蛙」連載中。