複雑な制度間財政調整


 それでは、何故、こうした財政調整が制度間で行われているのであろうか。その理由は、日本の国民皆保険が職域・地域ごとに制度が分立することによって成り立っているという歴史的経緯に深く関連している。


 後期高齢者医療制度以前は、老人保健制度があった。老人保健制度が施行された82年度当時、老人医療費の急増が国保財政に大きな打撃を与えていた。これは、現役時代には被用者保険に加入していても、定年退職後には国保に移ることになるため、高齢者が国保に偏在してしまう構造に起因する問題である。


 そこで、老人保健制度では、高齢者も国保や被用者保険に加入したまま、それぞれに保険料を納める一方で、医療の給付は各保険者の共同事業として市町村によって行うことにされ、その財源を国保と被用者保険それぞれからの拠出金と公費で賄うことにした。老健拠出金の負担は、老人加入率の差を調整するかたちで設定されており、国保の老人医療費の財政負担を軽減することを大きな狙いとするものであった。


 しかし、この制度では、給付主体(市町村)と財政主体(医療保険者)が分離しており、制度運営の責任主体が不明確であった。しかも、高齢者と若年者の保険料を区別できないため、誰がどれだけ費用を負担しているのか、とくに高齢者がどれだけ保険料を納めているのか、はっきりしなかった。


 健保組合から拠出金不払い運動も起き、新たな高齢者医療制度のあり方について議論が進められることになった。議論の過程では、①独立保険方式、②突き抜け方式、③リスク構造調整方式、④一本化方式、などの提案が行われた。


 しかし、被用者は退職後も国保に移らず、被用者保険にとどまる突き抜け方式は、健保組合にはメリットが大きいが、国保の財政負担の軽減幅が限定的になり、国保救済という財政調整の目的を十分に達せられなくなる。リスク構造調整方式は、老人保健制度と同様の問題が生じてしまう。一本化方式も、制度が分立した現状を前提にすると、実現困難である。そこで有力視されたのが独立保険方式である。


 独立保険方式は、日本医師会などからも主張されていた考え方だが、日医の提案は公費を重点的に投入し、財源の約9割とする内容であった。しかし、それだけの公費の財源を確保することは現実的に不可能である。そこで、老人保健制度同様、公費の割合は約5割とする一方、後期高齢者に保険料負担を求めると言っても、負担能力が低いため、その割合は約1割にとどまり、残りは社会連帯の理念に基づき、各保険者からの支援金で賄うことにしたのである。


 本稿では前期高齢者に係る財政調整には触れないが、結局、制度間で複雑な財政調整を行わなければならないのは、制度が分立しているため、高齢者の偏在や財政能力の不均衡が発生するからであり、その「財源の持ち合い」をどうするかという関係者間の錯綜した利害調整の産物なのである。


 しかし、独立保険方式としたことで、後期高齢者の保険料負担割合は「見える化」された一方、後期高齢者支援金の根拠は薄弱になってしまった。老人保健制度では高齢者も被用者保険や国保に加入しており、老健拠出金には共同事業としての根拠があったが、後期高齢者医療制度では被用者保険や国保から抜けているため、後期高齢者支援金には社会連帯という抽象的な理屈以上のものはない。


 こうした制度上の曖昧さも、現役世代の後期高齢者支援金に対する疑問に拍車を掛けている。後期高齢者支援金を批判している日本維新の会や国民民主党からは、税財源化や公費投入増が提案されており、それ自体は論理的にあり得る考え方だが、7兆円以上の財源をどのように確保するのか、増税の議論からは逃げている。


 医療保険では保険料負担の違いも大きい。一本化方式は、健保組合の解散が必要になることや、職業によって所得形態や所得捕捉に違いがあることなどからも、実現にかなりの困難が伴うが、私自身は以前から究極的には一本化方式が望ましいと考えてきた。


 後期高齢者医療制度は定着しているものの、老人保健制度も続いたのは四半世紀である。ファイナンスの構造を含めて、医療保険制度体系をどうしていくのかの議論も不可欠であろう。