東日本大震災当日から数日間の様子を思い返してみると、私が避難した場所や近隣の避難場には重度の外傷を負った人はほとんどいなかった。もっとも、動けないほどの状態であれば避難所に辿り着けてはいまい。目の前で起きた惨劇への恐怖とショックで噴出するアドレナリンのせいか、当日は痛みや苦痛を訴える者はそういなかった。いくらか緊張が解け、避難所にやってくる人々が増えてくると外傷の処置や常用薬の心配が噴出した。
ある医師は避難所を渡り歩いて行方不明の家族を捜索中で、他者の手当てをする余裕はなさそうだった。また処置を求められたが衛生用品などなく対応できない医師もいて「設備がなけりゃただの人だ」と自責していたが、彼もまさに避難者だった。つまり発災から1週間程度は、ある程度の外傷処置は自分たちでやらざるを得ない。何らかの外傷を受け、ようやく辿り着いた避難所に、医療器具や衛生用品を持ち合わせた医師が居合わせる確率は絶望的だ。十分な医薬品を持って避難する気の利いた薬剤師もいない。確率的に期待できるのは看護師やその処置経験者だが、いかんせん彼ら彼女らも被災者に変わりはなく、家族の安否に不安があればそれどころではないだろう。やがてDMAT(災害派遣医療チーム)が到着したとてトリアージされて処置対象には優先順位がある。
衛生面での不安も拭えない。上履きを持参する者などおらず、そこに相当数の土埃にまみれた避難者が横たわるのが避難所だ。水回りやトイレはあっという間に汚れてしまう。「衛生的」という言葉から遠く離れたその場所では自己判断で、幸運にもペットボトルの水でもあれば、せめて傷口を洗浄して耐えるしかない。冷たいことを言うようだがこれが現実で、各行政単位で協議されている災害対策本部が稼働して衛生的な避難所で救護支援が実行されるのは、発災からしばらく経ってからの話になる。医薬品流通のままならない状況下であっても、手に入る備品を用いた正しい(正しい云々を言っている場合ではないと思うが)止血や消毒などの応急処置スキルを学んでおくことは災害対策のひとつとして重要だ。