時流遡航
夢想愚考—わがこころの旅路
第5回 ─伊豆半島戸田〜北から来たもうひとつの黒船とは?— ① ─
ジャーナリスト 本田成親
2017年1月1日号
実質的にはわずか3ヵ月弱という驚くほどに短期間での戸田号建造作業であったが、千載一遇とでも言うべきその貴重な経験を通してスクーナー型帆船の製作技術を徹底的に習得した船匠らは、ロシア人一行が帰国したあとも、6隻の同型帆船を次々に完成させ幕府に納入した。
また、それら船匠やその弟子らは、江戸(東京)、横須賀、浦賀、長崎、大阪、神戸など各地の造船所に散り、のちに飛躍的に発展していくことになる日本の造船業界の礎を築いていった。何とも意外なことだが、そのような意味では、当時の日本がロシアから受けた技術的恩恵は、ペリー提督以下の米国艦隊から受けたそれよりもずっと大きかったと言わざるを得ない。
クリミア戦争の最中における母国の切迫した事情により、ロシア人一行の帰国は急を要していた。そのため、実際には戸田号完成直前の1855(...
実質的にはわずか3ヵ月弱という驚くほどに短期間での戸田号建造作業であったが、千載一遇とでも言うべきその貴重な経験を通してスクーナー型帆船の製作技術を徹底的に習得した船匠らは、ロシア人一行が帰国したあとも、6隻の同型帆船を次々に完成させ幕府に納入した。
また、それら船匠やその弟子らは、江戸(東京)、横須賀、浦賀、長崎、大阪、神戸など各地の造船所に散り、のちに飛躍的に発展していくことになる日本の造船業界の礎を築いていった。何とも意外なことだが、そのような意味では、当時の日本がロシアから受けた技術的恩恵は、ペリー提督以下の米国艦隊から受けたそれよりもずっと大きかったと言わざるを得ない。
クリミア戦争の最中における母国の切迫した事情により、ロシア人一行の帰国は急を要していた。そのため、実際には戸田号完成直前の1855(安政
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