読む医療—医師が書いた本の斜め読み—
教科書にはない「攻める問診」
第60回
鍛冶孝雄
2016年11月1日号
西日本の小さな漁師町で育った読書子の私は、10歳頃まで「医者にかかる」のは、「病院に行く」と、「医者が来る」が半々程度と思っていた。当時は世帯のほとんどが電話を持っておらず、歩くのがままならない病人が出ると、電話のある商家に頼んで開業医に連絡し、医師はバイクに診察かばんを括り付けて、バタバタと音を鳴らしてやってきた。いわゆる「往診」は当たり前の風景だった。
往診もそうだが、そのバイクで走ってくる医師は、何でも診た。麻疹に罹ったり、肺炎になった子どもから、骨折患者、脳卒中後の後遺症の人たちの面倒も見た。祖母は60歳代で脳溢血で倒れたが、そのときもバイクに乗った医師がやって来て診察した。祖母は3日後に死んだが、医師は入院を勧めなかった。親戚が集まるなかで、祖母は倒れた部屋で看取られた。
こうした記憶を辿ると、現在言...
西日本の小さな漁師町で育った読書子の私は、10歳頃まで「医者にかかる」のは、「病院に行く」と、「医者が来る」が半々程度と思っていた。当時は世帯のほとんどが電話を持っておらず、歩くのがままならない病人が出ると、電話のある商家に頼んで開業医に連絡し、医師はバイクに診察かばんを括り付けて、バタバタと音を鳴らしてやってきた。いわゆる「往診」は当たり前の風景だった。
往診もそうだが、そのバイクで走ってくる医師は、何でも診た。麻疹に罹ったり、肺炎になった子どもから、骨折患者、脳卒中後の後遺症の人たちの面倒も見た。祖母は60歳代で脳溢血で倒れたが、そのときもバイクに乗った医師がやって来て診察した。祖母は3日後に死んだが、医師は入院を勧めなかった。親戚が集まるなかで、祖母は倒れた部屋で看取られた。
こうした記憶を辿ると、現在言わ
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