東日本大震災での自責の念と闘って「復興支援」
熊本に届けた「温泉」と「鯉のぼり」
ノンフィクション作家 辰濃哲郎
2016年5月15日号
熊本・大分地震の被災地で、被害の最も大きかった熊本県益城町の避難所に、彼女はいた。 大政朋子さん(写真)。緊急人道支援活動を手がける特定非営利活動法人「AMDA」(岡山市)の調整員として働いていた。AMDAは、災害や紛争などが起きた地域で医療や保健衛生の分野で支援をする団体で、世界30ヵ国に支部を持つ。 5年前、まだ大政さんがAMDAでボランティアをしていた頃だった。東日本大震災の2日後、仙台市宮城野区の老人介護施設にAMDAの人道支援として医師らとともに派遣された。 調整員は医療活動の拠点の確保から物資の手配、受け入れ先との交渉、資金の管理、避難者のケアなどあらゆる人道支援を担う。 当時、福島第1原子力発電所の建屋が爆発するなど危機を迎えていた。3月15日になると、事態は悪化し、AMDAの代表である菅波茂氏が、部屋にこもって医師や地元の人た...
熊本・大分地震の被災地で、被害の最も大きかった熊本県益城町の避難所に、彼女はいた。 大政朋子さん(写真)。緊急人道支援活動を手がける特定非営利活動法人「AMDA」(岡山市)の調整員として働いていた。AMDAは、災害や紛争などが起きた地域で医療や保健衛生の分野で支援をする団体で、世界30ヵ国に支部を持つ。 5年前、まだ大政さんがAMDAでボランティアをしていた頃だった。東日本大震災の2日後、仙台市宮城野区の老人介護施設にAMDAの人道支援として医師らとともに派遣された。 調整員は医療活動の拠点の確保から物資の手配、受け入れ先との交渉、資金の管理、避難者のケアなどあらゆる人道支援を担う。 当時、福島第1原子力発電所の建屋が爆発するなど危機を迎えていた。3月15日になると、事態は悪化し、AMDAの代表である菅波茂氏が、部屋にこもって医師や地元の人たちと
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