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From Local to Global 私と公衆衛生

労働衛生30年─産業医は今

第88回

日本尊厳死協会理事長 岩尾總一郎(元厚労省医政局長)

2016年3月1日号

 筆者は73年に医学部を卒業後、公衆衛生分野の大学院に進み、恩師である故土屋健三郎先生に師事して環境保健・労働衛生を専攻した。じん肺や有機溶剤中毒など有害環境における労働者の健康問題を研究テーマとし、重金属中毒が私の学位論文になった。  だが、産業医科大学助教授に就任して4年目の85年、公衆衛生の神髄である「上医治国」の実践のためには行政しかないと考え、翌年、厚生省に転職した。学長でもあった土屋先生の離任条件は、今までの知識と経験を生かし、労働省に出向して産業医学分野で貢献することであった。ちなみに、厚生省と労働省が合併したのはそれから15年後、01年1月6日である。  厚生省に1年3ヵ月在籍のあと、約束どおり86年7月から労働省安全衛生部労働衛生課に専門官として異動した。アルビン・トフラーの書いた『第三の波』がベストセラーになったあとだった。トフラーの...  筆者は73年に医学部を卒業後、公衆衛生分野の大学院に進み、恩師である故土屋健三郎先生に師事して環境保健・労働衛生を専攻した。じん肺や有機溶剤中毒など有害環境における労働者の健康問題を研究テーマとし、重金属中毒が私の学位論文になった。  だが、産業医科大学助教授に就任して4年目の85年、公衆衛生の神髄である「上医治国」の実践のためには行政しかないと考え、翌年、厚生省に転職した。学長でもあった土屋先生の離任条件は、今までの知識と経験を生かし、労働省に出向して産業医学分野で貢献することであった。ちなみに、厚生省と労働省が合併したのはそれから15年後、01年1月6日である。  厚生省に1年3ヵ月在籍のあと、約束どおり86年7月から労働省安全衛生部労働衛生課に専門官として異動した。アルビン・トフラーの書いた『第三の波』がベストセラーになったあとだった。トフラーの本

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