薬価基準の歴史
薬価基準制度の基礎づくり
第23回
業界アナリスト 藤辺徹貴
2016年1月15日号
1959年(昭和34年)から1961年(昭和36年)にかけて、国民健康保険法などの改正により、国民皆保険体制の整備が進められ、実施された。また、1958年(昭和33年)には、1956年(昭和31年)の医薬分業法の施行を受けて、「物と技術を分離する」ことを基本原則とする「新医療費体系」が実施された。
こうした流れと併行して、今日につながる薬価基準制度の基礎づくりが進められていった。少し時代を遡るが、すでに述べたことも含め、改めてその過程を見ていく。
1943年(昭和18年4月)、健康保険法が改正され、保険診療報酬は厚生大臣が定めることとされた。それ以前は、保険者と日本医師会などが医療契約を結ぶ団体請負方式を採っており、診療報酬は、日医が定めた「健康保険診療報酬計算規定」により、被保険者数に応じて人頭割で医師に診療報酬を支払っていた。診療報酬を厚生大臣が定めることと...
1959年(昭和34年)から1961年(昭和36年)にかけて、国民健康保険法などの改正により、国民皆保険体制の整備が進められ、実施された。また、1958年(昭和33年)には、1956年(昭和31年)の医薬分業法の施行を受けて、「物と技術を分離する」ことを基本原則とする「新医療費体系」が実施された。
こうした流れと併行して、今日につながる薬価基準制度の基礎づくりが進められていった。少し時代を遡るが、すでに述べたことも含め、改めてその過程を見ていく。
1943年(昭和18年4月)、健康保険法が改正され、保険診療報酬は厚生大臣が定めることとされた。それ以前は、保険者と日本医師会などが医療契約を結ぶ団体請負方式を採っており、診療報酬は、日医が定めた「健康保険診療報酬計算規定」により、被保険者数に応じて人頭割で医師に診療報酬を支払っていた。診療報酬を厚生大臣が定めることとなっ
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