読む医療—医師が書いた本の斜め読み—
人間学的な医学が「医療」に適用される時代か
第41回
鍛冶孝雄
2016年1月15日号
「医療は医学の社会的適用である」。この言葉を読書子である私はこれまで疑ってこなかった。しかし、この言葉に隠されている「疑い」は、医学が科学(とくに自然科学系だという思い込み)との前提を置いて、それが治療のために研究・開発、検証されてきて、今もされているという認識。これを絶対と思いながらも、それでも人間は「死」から免れないという命題が潜んでいることを、皆知っているのに「知らないでいたい……らしい」という見通しの悪さのなかで埋もれている、と思う。
事実、このコラムで何度も「科学である医学は、今も途上にある」として、理解のない主張や意見に否定的な感想を述べてきた。だが、医療のなかにある患者や医療者の主体とか、個人の主観が、医療の世界を牛耳る「科学」という言葉の一括りのなかで、埋没させてしまったり、外に弾き出されているかもしれない...
「医療は医学の社会的適用である」。この言葉を読書子である私はこれまで疑ってこなかった。しかし、この言葉に隠されている「疑い」は、医学が科学(とくに自然科学系だという思い込み)との前提を置いて、それが治療のために研究・開発、検証されてきて、今もされているという認識。これを絶対と思いながらも、それでも人間は「死」から免れないという命題が潜んでいることを、皆知っているのに「知らないでいたい……らしい」という見通しの悪さのなかで埋もれている、と思う。
事実、このコラムで何度も「科学である医学は、今も途上にある」として、理解のない主張や意見に否定的な感想を述べてきた。だが、医療のなかにある患者や医療者の主体とか、個人の主観が、医療の世界を牛耳る「科学」という言葉の一括りのなかで、埋没させてしまったり、外に弾き出されているかもしれないと
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