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薬価基準の歴史

物価統制令から薬価基準制度へ

第17回

業界アナリスト 藤辺徹貴

2015年7月15日号

 日本医師会と日本薬剤師協会(現日本薬剤師会)の激しい医薬分業闘争が行われている一方、新たな医療保険制度に向けて準備が続けられていた。  敗戦により、社会も経済も壊滅状態にあった1945年(昭和20年)11月、厚生省は、戦地からの復員者と失業者合わせて1324万人に達すると発表した。人々は、米軍機による空襲に怯えることはなくなったが、物資は不足、価格は高騰し、むしろ日常生活は戦中より厳しいものとなった。  政府は、戦前の1940年(昭和15年)から始まっていた配給制度を継続した。だが、遅配や欠配が続き、正規の配給量だけでは足りず、飢餓死者まで発生した。都市部の人々は、農村に買い出しに行ったり、闇市で法外な値段で入手したりするほかなかった。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、そうした失業者や生活困窮者の増加による社会不安を抑えるため、日本政府に最低生活水...  日本医師会と日本薬剤師協会(現日本薬剤師会)の激しい医薬分業闘争が行われている一方、新たな医療保険制度に向けて準備が続けられていた。  敗戦により、社会も経済も壊滅状態にあった1945年(昭和20年)11月、厚生省は、戦地からの復員者と失業者合わせて1324万人に達すると発表した。人々は、米軍機による空襲に怯えることはなくなったが、物資は不足、価格は高騰し、むしろ日常生活は戦中より厳しいものとなった。  政府は、戦前の1940年(昭和15年)から始まっていた配給制度を継続した。だが、遅配や欠配が続き、正規の配給量だけでは足りず、飢餓死者まで発生した。都市部の人々は、農村に買い出しに行ったり、闇市で法外な値段で入手したりするほかなかった。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、そうした失業者や生活困窮者の増加による社会不安を抑えるため、日本政府に最低生活水準

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