読む医療—医師が書いた本の斜め読み—
博覧強記を「諧謔」に変えるマジック
第29回
鍛冶孝雄
2015年7月15日号
11〜12歳の頃、貪るように本を読んだ。子どもの濫読で、身になったものはそれほどない。とにかく活字ならば片っ端から読んでいたようなものだ。濃厚な性交渉シーンを「丁寧に」描いた本も読んだ記憶があり、とにかく親には「読んだことはない」としておかなければならないと、密かに自分に誓ったのを覚えている。
その頃読んだ本の大半は、覚えていないか、「ただ読んだ」という記憶しか残っていない。その「ただ読んだ」という印象と、内容もほとんど覚えている「読んだ」という印象の落差、そこを分けたものは何だったのかという問いを、自分自身に向けることがある。結論から言えば何もわからない。子どもの能力と感性のバランスなんて、分析できるわけはない、と納得させるのだが、「私はこんな子どもだった」と平気で語る人に会ったり、読んだりすると、少し羨ましく、少し信用...
11〜12歳の頃、貪るように本を読んだ。子どもの濫読で、身になったものはそれほどない。とにかく活字ならば片っ端から読んでいたようなものだ。濃厚な性交渉シーンを「丁寧に」描いた本も読んだ記憶があり、とにかく親には「読んだことはない」としておかなければならないと、密かに自分に誓ったのを覚えている。
その頃読んだ本の大半は、覚えていないか、「ただ読んだ」という記憶しか残っていない。その「ただ読んだ」という印象と、内容もほとんど覚えている「読んだ」という印象の落差、そこを分けたものは何だったのかという問いを、自分自身に向けることがある。結論から言えば何もわからない。子どもの能力と感性のバランスなんて、分析できるわけはない、と納得させるのだが、「私はこんな子どもだった」と平気で語る人に会ったり、読んだりすると、少し羨ましく、少し信用で
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