医薬経済オンライン

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薬価基準の歴史

戦時下に構築された皆保険の基礎

第9回

業界アナリスト 藤辺徹貴

2014年12月15日号

厚生省設置の御名御璽 1928年(昭和3年)6月4日、中国の奉天(現在の瀋陽)駅で軍閥の張作霖が乗った列車が爆破された。それが後の満州事変(1931年=昭和6年)につながったとされる。日露戦争後、日本は清国と「満州ニ関スル条約」を結び、遼東半島の租借、南満州鉄道の経営権、炭鉱の採掘権、森林の伐採権などを得ていたが、満州は、それら権益の奪還を図るロシアから守る日本の「生命線」とされた。  しかし、1932年(昭和7年)1月に第1次上海事変があり、3月に満州国が建国された。1933年(昭和8年)には日本は国際連盟を脱退。1936年(昭和11年)に二・二六事件が起きた。1937年(昭和12年)の盧溝橋事件を機に日中戦争、そして1941年(昭和16年)に日米開戦が勃発した。日本は8年に及ぶ長く悲惨な戦争の時代へと突入していく。  だが、そのような戦時下にあって、日本の今日の公的医療保険制度... 厚生省設置の御名御璽 1928年(昭和3年)6月4日、中国の奉天(現在の瀋陽)駅で軍閥の張作霖が乗った列車が爆破された。それが後の満州事変(1931年=昭和6年)につながったとされる。日露戦争後、日本は清国と「満州ニ関スル条約」を結び、遼東半島の租借、南満州鉄道の経営権、炭鉱の採掘権、森林の伐採権などを得ていたが、満州は、それら権益の奪還を図るロシアから守る日本の「生命線」とされた。  しかし、1932年(昭和7年)1月に第1次上海事変があり、3月に満州国が建国された。1933年(昭和8年)には日本は国際連盟を脱退。1936年(昭和11年)に二・二六事件が起きた。1937年(昭和12年)の盧溝橋事件を機に日中戦争、そして1941年(昭和16年)に日米開戦が勃発した。日本は8年に及ぶ長く悲惨な戦争の時代へと突入していく。  だが、そのような戦時下にあって、日本の今日の公的医療保険制度の

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