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薬価基準の歴史

森鴎外と福沢諭吉の医薬分業論

第4回

業界アナリスト 藤辺徹貴

2014年7月15日号

森鴎外 明治の医療近代化策のなかで、医薬分業は最大の政策課題であり、世間の関心も呼んだ。明治の論客、福沢諭吉や森鴎外もこの問題に大いに関心を持った。分業史が続いてしまうが、鴎外や諭吉が医薬分業をどう捉えていたか、興味深いことであるので、彼らの医薬分業論を紹介しておくことをお許し願いたい。  1889年(明治22年)、薬品営業並薬品取扱規則が制定されたが、附則において「医師の自らの処方による自宅における調剤を認める」とされたことから、前回6月15日号で紹介したように、日本薬剤師連合がこの附則の改正運動を開始した。これに対し、2人は厳しい医薬分業反対論を展開する。 森鴎外 明治の医療近代化策のなかで、医薬分業は最大の政策課題であり、世間の関心も呼んだ。明治の論客、福沢諭吉や森鴎外もこの問題に大いに関心を持った。分業史が続いてしまうが、鴎外や諭吉が医薬分業をどう捉えていたか、興味深いことであるので、彼らの医薬分業論を紹介しておくことをお許し願いたい。  1889年(明治22年)、薬品営業並薬品取扱規則が制定されたが、附則において「医師の自らの処方による自宅における調剤を認める」とされたことから、前回6月15日号で紹介したように、日本薬剤師連合がこの附則の改正運動を開始した。これに対し、2人は厳しい医薬分業反対論を展開する。

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