医薬経済オンライン

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薬価基準の歴史

西洋醫術の所長を採用す

業界アナリスト 藤辺徹貴

2014年4月15日号

種痘所の近くにあったお玉ヶ池の跡地(東京・千代田区) わが国の製薬産業は、第2次大戦後著しい成長を遂げてきた。戦後間もない1950年(昭和25年)に薬価基準制度が創設され、2年後の52年(昭和27年)に医薬品生産額は628億円となる。  59年(昭和34年)から61年(昭和36年)にかけて国民皆保険体制が整備された。その直前の58年(昭和33年)の医薬品生産額は1345億円だったが、11年後の69年(昭和45年)には1兆253億円と1兆円の大台に乗る。皆保険体制整備が完了した61年(昭和36年)から69年(昭和44年)の間の医薬品生産額の年平均伸び率は19.5%と、毎年20%前後の伸びを見せ続けた。国民皆保険の実施、つまり薬価基準制度がその最大の要因だ。  その後、82年(昭和56年)に18.6%もの薬価の大幅引き下げが実施され、それから平成の初めにかけて、製薬産業は“冬の時代”と言われる時期を迎えるこ... 種痘所の近くにあったお玉ヶ池の跡地(東京・千代田区) わが国の製薬産業は、第2次大戦後著しい成長を遂げてきた。戦後間もない1950年(昭和25年)に薬価基準制度が創設され、2年後の52年(昭和27年)に医薬品生産額は628億円となる。  59年(昭和34年)から61年(昭和36年)にかけて国民皆保険体制が整備された。その直前の58年(昭和33年)の医薬品生産額は1345億円だったが、11年後の69年(昭和45年)には1兆253億円と1兆円の大台に乗る。皆保険体制整備が完了した61年(昭和36年)から69年(昭和44年)の間の医薬品生産額の年平均伸び率は19.5%と、毎年20%前後の伸びを見せ続けた。国民皆保険の実施、つまり薬価基準制度がその最大の要因だ。  その後、82年(昭和56年)に18.6%もの薬価の大幅引き下げが実施され、それから平成の初めにかけて、製薬産業は“冬の時代”と言われる時期を迎えること

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