3年目を迎える「雄勝病院」跡地にて
特殊公務災害は勝ち取ったけど
ノンフィクション作家 辰濃哲郎
2014年3月15日号
慰霊碑の前で手を合わせる石井美恵子さん 宮城県石巻市雄勝町の海辺に建てられた慰霊碑に、ひとりの婦人が手を合わせていた。
かつてこの場所にあった石巻市立雄勝病院で、臨床検査技師長を務めていた石井達也さん(当時58)の妻、美恵子さん(56)だ。
病院は3年前の東日本大震災で津波に呑み込まれ、入院患者40人全員が亡くなった。勤務していた職員28人は、屋上に逃れたが流され、うち助かったのは、たった4人。24人は帰らぬ人となった。
石井検査技師長もそのひとりだ。
拙著『海の見える病院 語れなかった雄勝の真実』にその経過は詳しいが、少しだけ説明しよう。
あの日、大きな揺れの後、院長と副院長ら幹部がいったん裏の駐車場に集まった。近所の住人が「早く、山へ逃げろ」と促したが、「患者を置いては逃げられない」。そう言って、病院へと戻っていった。
津波が襲ったのは、...
慰霊碑の前で手を合わせる石井美恵子さん 宮城県石巻市雄勝町の海辺に建てられた慰霊碑に、ひとりの婦人が手を合わせていた。
かつてこの場所にあった石巻市立雄勝病院で、臨床検査技師長を務めていた石井達也さん(当時58)の妻、美恵子さん(56)だ。
病院は3年前の東日本大震災で津波に呑み込まれ、入院患者40人全員が亡くなった。勤務していた職員28人は、屋上に逃れたが流され、うち助かったのは、たった4人。24人は帰らぬ人となった。
石井検査技師長もそのひとりだ。
拙著『海の見える病院 語れなかった雄勝の真実』にその経過は詳しいが、少しだけ説明しよう。
あの日、大きな揺れの後、院長と副院長ら幹部がいったん裏の駐車場に集まった。近所の住人が「早く、山へ逃げろ」と促したが、「患者を置いては逃げられない」。そう言って、病院へと戻っていった。
津波が襲ったのは、そ
有料会員限定
会員登録(有料)
この記事をお読みいただくためには、会員登録(有料)が必要です。
新規会員登録とマイページ > 購読情報から購入手続きをお願いいたします。
※IDをお持ちの方はログインからお進みください
【会員登録方法】
会員登録をクリックしていただくと、新規会員仮登録メール送信画面に移動します。
メールアドレスを入力して会員登録をお願い致します。
1ユーザーごとの登録をお願い致します。(1ユーザー1アカウントです)
ログイン
会員登録