眺望「医薬街道」
啓発すべき「リビング・ウィル」
近藤正觀
2012年6月1日号
論語に「死生命あり」という言葉がある。ここで言う命とは神と同義語で、死ぬも生きるも神次第ということだ。人の生死は自然のままが望ましいが、俗世間では「しがらみ」が顔を見せる。死ぬとわかっていれば周りは何かしてやりたかったという自責の念をもつ。だから、家族も医師もできるだけのことをしようとする。 このような状況では、本人の意思を死の前に明確にしておく必要がありそうだ。例えば、植物状態になったなら、「スパゲッティ症候群にはしてくれるな」「胃ろうはつくるな」などである。医療は救命と延命の両面を併せ持っている。装置を外せば死ぬというのは単純な延命に入るだろう。フランスでは「胃ろう」をつくらなくなっているし、国民も非難はしていないそうだ。人はいつか死を迎えるという認識なのだろう。 全日本病院協会(全日病)は4月13日、「終末期の対応と理想の看取りに関...
論語に「死生命あり」という言葉がある。ここで言う命とは神と同義語で、死ぬも生きるも神次第ということだ。人の生死は自然のままが望ましいが、俗世間では「しがらみ」が顔を見せる。死ぬとわかっていれば周りは何かしてやりたかったという自責の念をもつ。だから、家族も医師もできるだけのことをしようとする。 このような状況では、本人の意思を死の前に明確にしておく必要がありそうだ。例えば、植物状態になったなら、「スパゲッティ症候群にはしてくれるな」「胃ろうはつくるな」などである。医療は救命と延命の両面を併せ持っている。装置を外せば死ぬというのは単純な延命に入るだろう。フランスでは「胃ろう」をつくらなくなっているし、国民も非難はしていないそうだ。人はいつか死を迎えるという認識なのだろう。 全日本病院協会(全日病)は4月13日、「終末期の対応と理想の看取りに関す
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